帰れる場所

あれは、2011年の春だった。オーストラリアから日本に帰ってすぐ渡った3月の瀬戸内海。まだまだ寒くて外の景色も色づく前。冷たい海風とそれまでと全く違う環境に、ずいぶんと打ちのめされていた。

そこで始めた仕事は、美術館のスタッフ。まだオンシーズンではないその時期の静かな空気が、余計に「逆ホームシック」を重症にしていた。

空が違う。

匂いが違う。

話す言葉が違う。

人が違う。

オーストラリアの広い空の下に帰りたい。

そう繰り返し思いつつも、またオーストラリアに戻ることに抵抗もあった。現地でのビジネスビザの話も断り、その地を離れた。決めたのは間違いなくこの自分だ。迷いつつ動いたところで、今の自分は変わらない。そう思い、置かれた環境に慣れようと必死だった。

もしかしたら、3月11日のことも影響していたかもしれない。帰国して8日後に迎えたその日、わたしはFacebookに書かれたメッセージから事の重大さを知ることになった。3月の終わり頃になったら、いったん地元に戻ろうとはしていた。しかし、日本海側とはいえ、同じ東北。少なからず影響は受けており、そこに戻ることも交通手段などいろんな面で不安が残り、帰省の延期を決めた。オーストラリアと地元・山形の間で、宙ぶらりんになってしまった気持ちが重くのしかかってきていた。

オーストラリアに合計2年半近く滞在して、当時は、現地の生活にすっかり慣れた自分がいた。もちろん、途中は日本に帰りたいと思ったこともあったし、一時帰国もした。しかし、その間に身につけた習慣と引きかえに、日本のやり方を削ぎ落としていった部分もあった。そうやって少しの痛みも伴いながら身につけたことを、帰国したことでまた剥がしていかなければならない。この作業に、ずいぶんと時間がかかった。

「自分の生まれ育った国」だから、また溶け込むのは簡単だと思ったのだけれど、渡豪前の自分とはすっかり変わっていて、日本の見るもの触れるもの全てが初めてのような気持ちだった。「逆カルチャーショック」の方が、ものすごく強烈だった。それで逆ホームシックをこじらせてしまったのだけれど。


でも、戻りたい・帰りたいと思う場所があるというのは、それだけ自分にとって大切な場所があるという証。ホームシックは、そういうことに気づかせてくれるきっかけなのだ。そして、そこに帰ることの選択肢を持てることは、実は恵まれていたのだ。

アフリカのどの国だったか覚えていないのだけれど、オーストラリアに移住してきたばかりの人に会ったことがある。彼と彼の奥さんたちは難民キャンプで生活していたそうだ。教会の援助で来れたようなのだが、彼らにはもう戻る場所はない。が、彼らも同じように故郷を想うようになるのだろうか。帰ろうと思う時、帰りたい場所へ行くことはできるのだろうか。どこまでも明るい彼らから、元いた国での状況が全く想像もつかなくて自分の目線でぼんやりそんなことを考えてしまったりもした。

今は、すっかり日本の生活に慣れた。それと同じくらい、「どこかに移住したい」という気持ちもどこか薄らいできている。オーストラリアで暮らしていた頃は、長くて半年、短いと3ヶ月ほどで土地を移動していた。たくさんの街をみたかったからだが、どこかで「永住する場所」を探す気持ちはあったし、土地との相性を測っていた部分もあったかもしれない。

そうして、あの広い大地を巡って島に渡り、そしてまた地元に戻ってきた。景色は、少しずつ変わっていくけれど、この場所で迎えてくれる変わらないものもある。自分の中の変わっていくもの、変わらないもの、そして変えちゃいけないもの。それらを確かめたくて、ここに戻りたくなるのかもしれない。そして、会いたくなる人たちがいるということは、どれだけしあわせなんだろう。
今はまだ、「もうしばらくは」ここで過ごそうと思う、としか言えないけれど。
自分にとって、大切な場所であることは確か。

そして、ここは帰れる場所であると同時に、新しく一歩を踏み出す場所でもあるのだ。
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