よそ者を否定できるほど、「よそ」を知ってるのか、って話。

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一回、その石頭をぶっ壊してこい、

と言いたくなることもある。



昔、こんなことがありました。
オーストラリアに行く前、働いていた職場に、新しい女性が入ってきた。
60−70名くらいいる中で、10名くらいが期間の決まった契約社員。
わたしもその10名のうちの一人。そしてその新しい人、Aさんも。
女性はベストとスカートの制服はあったものの、中に着るシャツや靴下・ストッキング、
内履きは自分で用意するんだけど、上はえり付きシャツに足元は黒が多かった。
Aさんが入ってきてしばらくすると、
「なんか変わったものばかり身につけている」と噂を始めた人Bさんがいた。
で、何かあるたんびにBさんはAさんの話をする。
まあ、たしかに、色使いとか、違うと言えば違っていたかも。
しかし、わたしは、他人の選ぶものは正直どうだっていい。
例えば、悪臭を放つとか(!)、害を及ぼさない限り、ほんとどうだっていい。
まゆげがなかろうが、変な模様の靴下を履いていようが、どうでもいい。
そんなことより、あいさつ返してくれないとか、電話も気付かないふりするとか
そういうのは「おい!」と思うけど。

そのBさんは、どんどん悪口を言ってまわる先を増やしていった。
それに同意してなのかもともとそう思ってた人たちだったのか、
他に何人かもAさんへの態度が少し変わってきていた。

こういうのほんとどうでもいい。嫌なら、勝手に思ってろ、って話。
仕事上、差し支えがあることなら対応が必要だけど。
陰口言い合うことで連帯意識を増やして、罪悪感を減らそうとしているだけ。
やってることほんとダサい。

小学生の頃の、いじめの始まりってこんなんだったな、確か。
大人になってもいるんだよね、こういう人間。

自分がまともだと思い込んでいるから。
自分だけがまともで、そのかわいい自分と違う種類の人は醜くくて間違っていると思い込んでいる。
そんなの幻想だって。早く気付けよって話。

限られた期間でも、一度痛烈に
理解の限界を越えるような出来事に直面するって必要だと強く思う。

自分一人がその場所でよそ者、で、暮らしのあらゆることを0から始める、とかさ、
「はーーーー?何それなんでそんなことするの!?」ってことが常識の人たちと一緒に暮らす、とかさ、
凝り固まった頭をかち割られるような経験をする出来事に。

それまで持ち歩いていた経験とか常識とかじゃ全く太刀打ちできないことを身を以て知ることで、
世の中には「自分の理解できないことがたくさんある」と体で理解できる。

”わたし海外には出張でよく行ってます♪”っていう人の中にも、え、
こんなの輸出しちゃっていいのって人はいる。
決められたルートだけ、準備されたものだけ見聞きしてくるんじゃ、いつものテリトリーから出ないのと一緒じゃん。
それでその国を知った気になってマイルの分だけ経験値増やした気になっていたりね。

違うってば。

どれだけ本気で、外にも目を向けたのか。
そうして出会うことで、時々は痛い思いもするだろう。
それでもその出会いと痛みのぶんだけ、目に映る景色が広がる。
外を知れば知るだけ、自分の足りないものとか気付くのだ。
そういう経験をしたことのある人は、上辺が少し違うからといって他人をすぐに否定したりしない。
自分を守るためだけに、雑言を吐かない。

余所に出たこともないのに、余所者を否定するな、って思う。





えっと、ちなみに、そのAさんには、わたしは他の人と変わらず接してたつもり。
オーストラリア行きを話した後、「行かないで」ってお手紙をもらった(!)のだけど、
そこには、「こまつさんが、いつも周りにしてたのと同じ態度で接してくれたのがうれしかった」とも書いてあった。
いやいや、同じ態度って…。Bは一体どんだけひどい態度だったんだろうか。
(うん、でもこの後、彼女の母親まで「オーストラリアには行かないで、日本で娘の友達を続けて」と
何度も連絡してくるようになって、出国後はこちらから連絡してません…。お元気かしら、二人とも…)






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