「◯歳だから…」って考えをいったん止めてみたら どうかしら。

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えっ ◯歳!?

思いっきり驚いてしまった。
さっき初めて見かけたきれいな人は、
その年齢より10は若く見えた。

だって、表情はいきいきとしていて、
タンクトップからみえた肩から腕のラインがとってもきれいだった。
(自然と視線がそっちにいってしまうの。なんだかキラキラしていた。)

その人よりかなり若くても、死んだような顔した人って
何人もみたことあるもの。

年齢は、生きた時間を表すけれど、
その人の見た目を決める最後の一手にはならないね。

若さゆえのお肌もきれいだけど、
経験重ねてできた笑い皺だって美しい。





そうだ、そうだ、そうだった。
こういうことを、オーストラリアにいた時にいつも感じてた。

そばかすだらけでも、ちょっと太めでも、流行の服なんか着なくても、
ものすっごい幸せそうな笑顔をする人って人目を引く。
白髪でも、やせっぽちでも、どんな肌の色をしていても。
お金持ちでも不幸せな人もいたし、手作りの小さな家に住んで庭の果物を
食卓で分け合うことを楽しみにしていた人もいた。

日本に帰ってきて感じた逆カルチャーショックの中に、
年齢のこと気にし過ぎ、というのもあった。
「若く見えますね」に喜ばないといけないの?とか、
「あたし来年◯歳だし〜」とか、大して婆さんでもない人を婆さん呼ばわりしたり。
◯歳になったら〜して、□歳になったら=して、という考え方が
あまりにも多く感じてなんだか疲れてしまっていたな。
もちろん、どこの国にも多かれ少なかれあるとは思う。
けれど、どうしてだろう、日本にいるとそのプレッシャーはものすごく大きく感じる。

その理由のひとつに、オーストラリアのような移民の多い国だと、
基準が多くて比較しきれないからというのもあるだろう。
日本で育った自分の常識なんて通じないことなんて、いくらでもあるし、
それぞれが考える良識だってそれぞれ違うから。
だから、どこかの基準に自分を合わせるのではなく、
自分の中味をちゃんと知っていなきゃだめ。何を、自分は基準とするのかを。
そういう意味での大変さというのはあったけれど、
それって、自分が決めること。
でも、日本で感じるような、年齢とか自分ではどうにもならないことに
感じる変なプレッシャーは、ほとんどなかった。
もっと、長く住んだらまた違ったのかもしれないけれど。
そこから学んだことはすごく大きい。

年齢を言い訳にするのは、いつだって簡単。
でも、自分の在り方を決めるのは、年齢でも他人でもなく自分なのだ。




イラストレーター こまつきょうこ HP 
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