虹を追いかけた日 〜手に入れることと今あるもの

小さかった頃、ある日、
母の運転する車から虹を見た。
雨上がりの空の下、
弧を描く虹の根元は、
ほんの少しだけしか
離れていないように見え、
そこにたどり着けるのかと思った。

「あのはじっこに行きたい」
と言ったわたしに、
いつも忙しくしていた母にしては
珍しくつきあってくれた。
「あっちだよ、あっち」
というわたしの指さす方へ
母は車を運転させた。

近づくと思うと遠くに見え、
たどり着けない。
そうしているうちに、虹は薄くなり、
ほとんど見えなくなった。

母はその日なぜか始終笑顔で、
わたしが
「お母さんが早く行ってくれないから!」
意地悪を言っても
「そうかー」と笑っていた。
いつもどこか不安げだけど強気な母が
祖母と家事の待つ家に急がずに
なぜ付き合ってくれたのか思い出せない。


虹のはじっこには、たどり着けない。

追いかけたとしても
手に入らないものだってある
もしかしたら、手に入らなかったものは、
思い込みなのかもしれない。
「あれが絶対必要!」という幻想の。
追いかけてその手をすり抜けたら
きっと必要なかったものなのだ。

それよりも、
暖まったアスファルトの上に降った
通り雨の後の匂いに感じる心地よさだとか、
雲間から差し込んだ陽の光のまぶしさや、
空に虹を見つけた時の気持ちの方が
本当だったのだ。

手に入れることを追い求めすぎて
今感じるうれしさや喜びを忘れないこと。
そっちの方がとっても大切。




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