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カテゴリ:【むかしむかし】U.S.( 4 )

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昔ながらのダイナーで、
ゆっくり時間を過ごす

コーヒーのおかわりもらいながら
顔なじみの店員さんともお話

…したりなんかして。
アメリカ映画によく出てくる、
そんなダイナーに今も憧れる。

高校留学してた時、
たしか行ったはずなのになー。

…ああ!Banana Sprit の話をした。
ああ…もう一回やっぱり行きたい。


ひとりごと!

へばのー


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無理して、平均点をあげなくていいんだよな
って初めて思えたのは
10代、アメリカに住んだ頃。

アメリカで好きになったもののひとつに、
ホームステイ先のお父さん手作りのパイがある。

ほぼ毎日、このお父さんが台所に立って料理していた。
仕事から帰宅して、ささっと夕食の支度。
そして、時々、ご飯を食べている間に
仕上がるようにパイもオーブンに入れていたり、
お菓子もいろんなのを作っていたな。

台所の主役は、お父さん。
同じステイ先のお母さんは、
「料理はあまり得意じゃないの」と言って、
お父さんがいない時は、わたしも混じって
大きいこどもたちで料理していた。
(上は高校生から小学生までの5人兄弟)
学生時代からお付き合いして、
いつもおいしい手料理を
ごちそうしてもらっていたみたい。
(という話をしていた時の笑顔、
少女のようでかわいらしかったなあ
なんて今になって思う)

わたしは、料理は女の仕事という環境で育ったから、
正直にいうと違和感はあったのだけど、
10代のやわらかい頭は、
そういうものかーとも思いもした。

得意なことを、すればいいんだなって。

と、いうのを
お菓子が焼き上がるのを待つ間に
時々思い出したりします。



へばのー!

もうひとつの、アメリカのお話:
あの頃、思い描いてた自分になれているだろうか 〜17歳の頃、アメリカの生活で見つけたこと〜



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「アメリカに来たなら、これは聞かなきゃ!」
と、手渡されたのは、ひとつのカセットテープ。
Green Day のアルバム、Dookie だった。
その日会ったばかりのスウェーデン人の女の子は、
自分のカセットプレーヤーから、テープを取り出して、
あげる!とわたしにくれたのだった。
(CDが主流になっていたけど、カセットテープもまだまだ売っていた頃)

その子は、たしかAshleyという名前だった。
くるんくるんした短かい髪の毛に、眼鏡をかけて、
初めてみた時は男の子かと思った。
(ミヒャエル・エンデの「モモ」みたい、とも思った。)
わたしと同じで、1年間の予定でアメリカの高校に交換留学生として来た子だった。

とっても穏やかに、丁寧な英語を話す子だったな。
だから、家に帰って改めて聞き直した時、
彼女とパンクロックが結びつかなくてなんだか不思議な感じもしたんだけど、
それからずいぶん、繰り返し聞いてた。
アメリカと10代を思い出す時、このアルバムの曲も一緒。

そういやその時、スウェーデンが、どこにあるかすらわかってなかったのに、
それから5年後、訪れる国になるなんて想像もしなかった。
これは、余談。


Eメールの普及も一部でやっと始まりつつあった頃のお話。
(年がばれるー。)


そろそろ、思い出ばかりのアメリカを、アップデートしたい。
昔住んだあの場所に、もう一度立ったら、どんな風景が見えるのかな。


むかしむかし in 1996
とっても丸い時代




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1996年1月9日、17歳の誕生日は、留学先のアメリカでホストファミリーのMros家と迎えた。
アメリカ滞在は、1995年7月から1996年6月まで。ジョージア州の小さな街で、7人家族のお宅にホームステイして、現地の公立高校に通っていた。
(写真は、ホストシスターの彼とその弟も入っています。)
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久しぶりに当時の日記を読み返したら、「この考えがわたしの軸になっているのでは」、と思うことがあった。これを、覚えておきたくて今日は記します。


ホームステイ先は、両親と子ども5人の大家族。その5人のうち、4人が養子。肌の色も、瞳や髪の色もみんな違った。養子として家族になることは現地では珍しいことでもなく、本人たちもその事実を知っていたし、周りも当然知っていた。生まれてすぐ養子に来た子もいたし、小学生になってからの子もいた。理由は、さまざま。(わたしがこのお宅に来た当初は、「また養子の子が増えたの!?今度は大きい子ねえ〜」と言われたこともあったらしい。(笑))


たしか、ある日の夕飯のテーブルだった。いつものように、みんな一緒に席に着いていた。ふとしたことから、アメリカと日本では、「養子」に対する考え方が違うのは、文化や歴史が違うからだね、という話になった。
ホストファザーは小学校の教師をしているが、学校が長期休暇になると軍の仕事をすることもある。それで、日本に来たこともあったそうだ。テーブルに着いた8人の中で、アメリカと日本の両方を見たことがあるのは、彼とわたしの二人だけ。この日は、食卓で話すのが苦手で口数の少なかったわたしにしては珍しく、話題の中心になって、たくさん話をした。

その日の、日記から。(稚拙なところもありますが、どうぞお許しを)

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1996年1月17日

地球が人間を作り、地形や気候が人間を育てた。そして人間が文化を生み出し、歴史を作り上げてきた。

・文化ー⑴武によらず文による徳で人民を教化すること。
⑵世の中が開け進むこと。文明開化。
⑶人間が社会の成員として作り出していく、物質的・精神的成果のすべて。
・歴史ー⑴人間社会における過去の時代の興亡、移り変わり。また、その記録。
⑵事物や人の現在までの経歴。また、その記録。
(当時持っていた、国語辞典からの引用だと思います2012.12.26)

「文化」は難しいこと言ってるけど、このわたしたちが今触れている空気そのものではないのだろうか。
この家には、養子として受け入れられた子供たちがいる。本人も知っている。もうみんな、どこか大人だ。わたしにはないものを持っている。

〜中略〜

短い歴史、まだ好奇心の旺盛な十代の少年のような国、アメリカ。今いる人たちの多くが別の国から渡ってきた。いくつかの湧き出た水が一緒になって川を作るように、いくつもの人種が一つの国を作り上げてきた。
そのためか、血筋というものは私たち日本人のように気にならないらしい。世襲がどうとか…
長い年月が、老人の考えに鍵をかけてしまうように、深い歴史も国の考えを固めてしまうのでは。人々の心は、どうだろうか。

どの国にも問題はある。それは、起こるべくして起きたものだろうか?過去にこだわりすぎではないだろうか?

老人の独り言が、若者を邪魔しないように、新しさが強い時もある。しかし、老人の知恵だって必要なこともある。
どの国がいいとか悪いとかではないのだ。老人の知恵と、若者の好奇心がうまく合わされば、素晴らしいことが可能ではないだろうか。

単純な言葉だけど、「世界は広い」。心からそう思う。そして、自分は小さい。

大きな鍋の中に、一粒の塩を入れても、その味は変わらない。でも、たくさん入れれば、味は変わっていく。そして、別々の材料がよく集まればこそ、素晴らしい料理ができあがるのではないだろうか。

目、物を見るだけでは意味がない。何を感じ、何を考えるか。生きるということ、それもただ存在するだけでは意味がない。自分もできることから、始めようと思う。

人生の1ピースをまた見つけたような気分で満たされた。パネルにきちんとはめ込んでおこう。

ああ。本当に世界が見たい。いろんな人と話をしたい。

もっと勉強しなくちゃ。

ちいさいことは、おおきいことだ。


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表現の仕方にツッコミいれたくなる部分もありますが(汗)、この時の考えが、後の自分に多大に影響していたことに気づかされました。
実は、上の写真の頃の日記を読み返すと、ずいぶん悩んでいた様子。(写真の中でも、せっかくのお祝いの日なのに、浮かない顔…。もっったいない〜!)英語の伸び悩みもあって、自分の殻を破れずにいた。

でも、この会話をきっかけにいろんなことに気付いた。ひとつは、「思ったより英語を聞けるし話せるようになってるじゃん!」てこと。もうひとつは、「自分から働きかければ、物事は変化する」ということ。おとなしい自分が嫌なら、どんどん話せばいい!
そして、もうひとつは、「ちっぽけな自分」。

アメリカに行くまで、日本の親元でわがままで身勝手な世間知らずだった。でも、そこを飛び出して、「自分がどれだけ知らないかを知る」ことができたんだと思う。これがすごく大きかった。

アメリカでの生活を積極的に楽しんだのは、それからだったと思う。いろんなものが吹っ切れたように。

日本へ帰国の日に撮ってもらった写真は、顔が全然違う!あの誕生日の写真から5ヶ月ほどしか経っていなかったけれど、こんなにも顔つきが違うんだ!と今になって驚いた。

帰国して、しばらくはアメリカに帰りたくて、泣いたこともあった。それが、生活を楽しめた証拠だったかもしれない。


ホストファミリーが決まる前、また別の家族が受け入れを希望していたらしい。でも、順番でMros家に決まったと聞いた。もし、他の家で過ごしていたら?今のわたしはあったのかな?
人生のタイミングは、予期せぬところで絶妙に仕組まれているようで面白い。

あの頃のわたしが望んだ自分に、近づけているのかな。
行きつ戻りつするのも、ひとつずつピースを集めるため。大きなパネルに、今の精一杯のピースをはめ込んでいこうと思う。これからずっと先の自分の布石にするために。

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