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「顔の心配。」

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by komatsukyoko | 2012-06-28 20:43
わたし、よく言われます。
いつも元気そう、小さいこと気にしなそう…と。

そういう面も、ある。(見た目の問題でもありそうだが…)でも、それだけじゃない。

考え事があると、家から出られないくらい弱ることもある。その考え込む原因となった出来事を分解して分析、次にどう動いたらいいのかやたらとシュミレーション。もちろん、考えることすら出来ないほど、許容量オーバーのこともある。その時は、ひたすら休む…

「前向き」な人たちは言うだろう、
そんな不毛なことしないで、過去のことは気にせず、これからのこと考えたらいいよ!
元気出して、前に進むべき!と。

それが出来たら、もっと楽だなと、自分でも思う。

でも、なかったことにもできないし、気になることがあったら、自分なりに折り合いつけてから次に進みたいと思う。そういうところがあるから、意識的に一人の時間を取ったりする。大掃除しては整理する時間を。
(そういえば、年をとるにつれ、周りへ相談することは減ったかもしれない。もちろん、聞いてもらうことで救われることもあるけれど、結局決断は一人でするものだし、結果は自分で出すしかないのだ、とも思う。)


立ち止まる。
後ろを向く。
掘り下げる。

そうすると、悩ませる出来事と顔を突き合わせていたわたしは、いつの間にか、自分と対峙している。外の問題で、自分の中の問題が見えてくるのだ。そこに行きつくまでなんて、悶絶。

こんなふうに悩まないようにしている人もいるだろう。理路整然と考えられて、押し進めるだけの力を持つ人も。でももしかしたら、わたしみたいに考え込んじゃう人だっているかもしれない。それならそれで、いいんだ、って伝えたい。立ち止まっても、休んでも、進みたいならまた進めばいい。だから、その次の一歩まで力を溜めておく。はじめの一歩さえ踏み出せば、あとはまた歩いていける。


…と、自分に、一番言い聞かせたいのかもしれない。でも、こんなやつもいるんだ、って、誰かの支えに、少しでもなれたら、それはそれでうれしいな。
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by komatsukyoko | 2012-06-27 12:54
もっと早いうちから、好きなことは年齢と共に変わってもいいんだと知っておきたかった。そうしたら、もっと楽だったのに。いろいろ試して、それから好きなことや得意なことに気付くことは多い。始めたばかりのことなんて、続けられるかわからない。

例えば、部活。わたしの通った中学では、必ず部活に入るのだが、3年の引退までずっと同じ部活に在籍。転部するなんて聞いたこともなかった。

しかし、高校2年の時、留学先の高校で驚くことになる。放課後のクラブ活動は、コーラス部など通年のものもあるが、運動部は主に夏期と冬期に分かれていた。夏にアメフトで活躍した選手が、冬は室内コートでバスケをする…なんて当たり前だった。(なにかで活躍してる人は、身体能力が高いので、他の競技でも活躍してることも珍しくないのだ)

通常の授業でも、必修科目はあったが、他は選択、「自分で選んで試しながら挑戦できる」ことで、自信を付けさせられた。例えば、わたしの場合、現地の生徒に混じっての英語の授業はほんっと苦手だったが、美術の授業では、常に成績も高かった。いろいろとやってみることが出来ると、自ずと自分の得意なもの、そうでないものが見えてくる。得意なものがわかるだけで、苦手なものに対しての劣等感なんて小さなものになる。

これが、たまたま選んだことでも与えられたことでも、苦手なことだけをひたすら続けたらどうだっただろう。もしかしたら、長い時間をかけて、上達はするかもしれない。でも、「とりあえず」でもやりたいことはやってみて、試せたなら?はじめは効率の悪い、遠回りかもしれない。でも、遠回りしないとわからない経路だってあるのだ。

経歴でいろいろ言われたことがある。高校では英語、大学はデザイン系、卒業後の仕事は学歴に関係あるのもないのも多種多様。転職の数も多い。「結局、何がしたいの?」なんて聞かれても答えられなかった。自分でもわかっていなかったから。その頃は、そういう自分にものすごく劣等感を抱いていた。なんで、周りの人たちみたいに、同じことを続けたり専門を極めようとしたりできないんだろう?と悩んだ。


今、振り返ってだから言えるけれど、わかっていないからこそ、いろんなことを試す時期だったのだ。「これでいいのだろうか」と迷いつつ同じ場所に居続ける。それも一つの方法かもしれない。でも、わたしはそれすら出来なかった。

さんざん試しては失敗もたくさんした。いろんなことが全て嫌になった時期も何度もあった。前に進んでる実感がなかったから。それでも、あの頃のいろんな種類の失敗があったからこそ、やっと(!)自分のことがわかってきた。(生きてきた年数の半分以上かかった…)

もう、うろうろしても迷っても大丈夫!と自分に言えるようになった。やったことのないことなんて、続けられるかわからない。やりたいならやってみればいい。ダメだったらやめればいい。無責任に聞こえるかもしれないけれど、経験から学んだ方が確実。やってみて初めてわかることがたくさんあるのだ!大人も、盛大に迷えばいいと思う。
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by komatsukyoko | 2012-06-22 00:53
たまたま付けたテレビに映るAKB48のライブ映像。彼女たちのパフォーマンスを今さらながら、初めて目にした。

もう、目が離せなかったのだ!大きな会場の広いステージ上に、渾身の力を込めて立つ大勢の女子たちから!今まで、彼女たちの曲にも、歌う姿にも興味はなく、これが本当に初めて。もちろん、見た目のかわいさだって目を引く要素。でも、それは要素のひとつであり、それだけじゃない。メンバーそれぞれに個性があり、(もちろん、そういうプロデュースしてるからだろうけど)その自分の役割を把握して、ステージ上で完全に出し切っているのだ。

時折映るバックステージでは、限られた短い時間の中で次への呼吸を整えたり、衣装の着替え。ライブが後半に進むにつれ、体調を崩すメンバーも。それでも、表のステージに立つことに迷いはない。倒れても、起き上がり、進むのだ。

格好いい!!と、不覚にもそう思った。「アイドルなんて、ちやほやされて軟弱そう」なんて、勝手に思い込んでいた。しかし、そのイメージは全くの間違い、その正反対だったのだ。ステージ上の彼女たちは、まるでアスリートのように、限界以上に努力した者しか手に入れられない瞳をしていた。力強く、澄んだ瞳を。


ライブ終了後、「まだ課題はある。でも、それは一歩を踏み出したからこそ見えた。」と語ったメンバーがいた。今、チームがどのような状態か把握と分析をし、改善点まで導き出していたそのコメントに素晴らしい統率力まで感じた。ここまで来れたから、次の段階を、と「最高」の天井を高くしようと努力し続けるその姿には、すごい!と思わざるを得なかった。こういうメンバーがいると、いい意味で上の方へ引っ張られているはず!

昔は、頑張ってる姿なんて見せたくもないし、必死になるのは格好悪いものだと思っていた頃もあった。しかし、そんなこと言ってられる余裕があるうちは、まだ本気じゃないのだ。彼女たちには、選ばれる、という明快な目標があるのも理由かもしれない。そこへ向かい、苦しくても努力する姿は、やっぱり文句なしに格好いいのである。


…アルバム聞いてみたいと思います!
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by komatsukyoko | 2012-06-21 00:54
強い人に憧れた。
自信に満ち、泣き言なんて口にしない。苦難を物ともせず、非難を浴びようが、信念を貫いて目的に向ってひたすら邁進する。それが強さだと思い、そうでなきゃ、弱いんだと思った。

やけに他者を意識し始めた思春期の頃、目立つ同級生たちにはその強さが備わっているように見えた。羨ましく、妬ましくも感じ、そうではない自分が疎ましかった。

それは長い間、どこかに引きずったままだった。強くなるために、自分ではない何者かになる必要があるのだと思っていた。

でも、いつの間にかそれほど羨ましくも感じなくなっていた。
悩み続けたあの頃より、年をとったからかもしれない。その間に、涙も、助けを求める声さえも出ないほど打ちのめされたことがある。そんな、立ち直れないんじゃないかと思うくらいの痛みをくらっても、それでも身体中が笑顔になるほど、喜びを感じるのも同じ自分だと、気付いたからかもしれない。どこへ行こうとも、自分は自分でしかないことを思い知らされたからかもしれない。


うろうろしたり、ふりだしに舞い戻ったり、相変わらず、悩んだり迷ったりしている。いろんなことをやってきたけれど、いつでも新しい次の一歩は、怖いこともある。考え込んで、身動き取れなくて、苦しくなったり。でも、それでもやるのだ。


はじめっから、図太くて、何も気にせず、いつも力にみなぎっていたら。ここまでこれたかな。休み休み来たから見えた景色も、遠回りしたから身につけたものもある。強い孤独の中に落ちたことがあるから、人といられる喜びも大きくなる。


今は、昔よりも、自分の弱さを知っている。それはもう、隠すものでも否定するものでもなく、わたしの一部なのだ。それ以上でも以下でもない。弱さを見せないことが強さではないのだ。自分のやりたいことに素直なら、自然と進む力が生まれるはず。そして、その力こそ、自分を強くしてくれる。
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by komatsukyoko | 2012-06-20 01:09
自分を取り巻く変化の流れが、 まるでごうごうと音を立てているようです。

変わらないものなんて、ひとつもないし、わたしの中心は何も変わってはいないのだけれど。

でも、今までになく、目に見えない小さな変化がたくさんの炭酸の泡のように生まれ続けているのです。
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by komatsukyoko | 2012-06-19 12:35
先日、待ちに待った返事が来た。もしかしたら、次の仕事のチャンスが得られるかもしれない機会だった。はじめは先方からも好意的な反応…と感じたのだが、その返事は思わしくなく、お互いの条件が合わず、今回は先方にもわたしにとっても見送りとなった。

正直に言うと、かなり落胆した。「これが決まったら…」と、引越し先になるであろうその土地のことを、ずいぶん先のことまで夢想した。その期待が落胆を大きくした。

しかし、気付いてしまった。今回は、4年前のような勢いがなかった。あの時、「なにがなんでもオーストラリアに行くんだ!!」と別の土地へ渡ろうとする、自分でも何故だかわからないくらいのエネルギーが。反対されようが、その時手にしていたものを捨てることになろうとも、自分の中で下した決断に揺るぎがなかった。

どこかで、「誰かに与えられる好機」というものを期待して、自分が今は何が出来て、これからどうしていきたいのか完全に忘れていた。そして、心のどこかで、「なんとなく違う」サインも出てはいた。(はじめの相手の反応に感じたなにかだとか、他にも行きたい場所を考えていたとか)それを閉じ込めて上辺のチャンスにこだわろうともしていた。

馬鹿だなー、自分。ちょっとヤケになりそうだったけど。そっちは、進むべき道ではなかったのだ。手にしてもいないのに、失ったつもりでへこんでちゃもったいない!

心のどこかで、なにかがひっかかっていたら、それは「立ち止まって!」のサイン。そこは無理に押し進めようとしちゃだめだ。そして、頭で考えた「こうした方がいい(得)かも」なんて、大したことないのだ!そんなものは、ありとあらゆるものに見透かされてしまう!

これは、いいきっかけだった!まだ何も終わっちゃいない。しかし、動くのだ。動いて、失敗だろうが成功だろうが、自分なりの結果を少しずつ出してくのだ。その積み重ねこそ、大切な財産となり、今後の自分を育てていくのだ。

…10代の時よりも、20代の時よりも、30代の今の方がチャレンジャーだな!(笑)
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by komatsukyoko | 2012-06-17 22:30
寝付けない夜に、すこうしだけ、そーっとなめるように飲む。それは、蜂蜜と梅だけで作られた梅酒。瀬戸内海の島で知り合った二人がわけてくれたもの。この梅酒を口に含む度、あの島の海や空、冷たくなり始めた11月の夜の空気を思い出すのだ。そして、あの頃、自分の中の流れが、大きく変わったことも。

日本に帰国して、実家にはすぐ戻らず、瀬戸内海の小さな島で働き始めた。いい場所だった。島の人たちも暖かく、なにより、夏の海と夜空が最高に気持ちよかった。それでも、やっぱり仕事の葛藤やこれからの不安はざらざらと溶け切らず、悩み始めていた。そこから少しでも離れていたいと、やたらと海に通っていたのかもしれない。髪の毛は、日差しと潮で焼け、明るい色になってきていた。

世間が夏休みやお盆休みの間、わたしの職場はひたすら忙しい時期を迎えていた。その時期が、少し落ち着いた頃、ふと一人で、気になっていた別の島へ遊びに行った。



②へ続く。
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by komatsukyoko | 2012-06-14 01:02
なにかを探して、探しあぐねて途方に暮れることなんて、わたしにはある。目の前のことで溺れそうになっては、手を伸ばしても、つかまるものさえ見えない時もある。 それでも、きっと本当は、探している答えだって、泳ぎつくべき岸の方角だって、本当は知っているはずなのだ。なにかの理由で気付けなかったり、気付かない方が現状に都合がよかったりして、知らないふりをしてしまう。そんなふうに自分の本心に耳を傾けないでいると、体が声をあげる。大抵その声は、痛みなのだ。痛みが心の言いたいことを代わりに伝えようとする。

 わたしは、それをまた思い知らされた。先週末の東京旅行から戻ってから体調が優れず、ご飯もほとんど食べられなくなった。実際は、地元に戻ってからずっと体調が良くない時の方が多かったかもしれない。わたしは、それを当初、寒さのせいだとばかり思っていた。地元を数年離れていた間に、ますます寒さに弱くなっていたし、今年の雪の多さは、気持ちまで暗く閉じ込めてしまうほどだった。暖かくなったら、きっと体調もよくなるだろう、そう思っていた。でも、やっぱりどこか体調のリズムは低いまま、そこで多少上下を続けるだけだった。病院に行っても、異常は見つからない。

今回も似たような症状だったが、医者ではなく、ある人の元へ。その方は、マッサージのセラピスト。数年前から、何度かお世話になっている。同年代で、海外滞在の経験などいくつか共通点があって、初めから親しみを感じていた。もちろん、マッサージの技術がすごく高い。手を触れると、相手の体の声が聞こえるんだと、わたしは思わずにはいられない。そして、この方の纏う穏やかで透き通った空気が、ご本人の生まれ育った大好きな緑の美しい街と呼応していて、ここに来る度、わたしの濁った部分まで、クリアーになる。だから、来てしまうのだ。そして、たっぷり話をしてしまう。静かに聴いてくれる彼女の澄んだ目に、毎度ハッと気づかされる。今回も、そうだった。微笑んだ彼女は、静かにきっぱりと言った。「自分で、答え出してるじゃないですか。えらいですよ。」 

そう、求めていた答えを、本当はもう手の中に持っていたのだ。気づいたら、なにかがほどけたように軽さを感じた。もう、その本心に従っても大丈夫、そう確信した。やりたいこと、やらないと。


地元に帰って6ヶ月と少し。その間、何度もいろんな声を投げられた。 「親は安心したでしょう」「これからずっと住むんでしょう?」「もう、あちこち行かないで、落ち着くものだ」「ふらふらしてないで、ちゃんと働いてほしいと、親御さんも絶対思ってるわよ」 何度も、何度も、投げられた。もちろん、それには、悪気なんてない。でも、悪気のない言葉は、時々暴言よりも暴力的になる。 わたしは、「みんな」の声を聞こうとした。言葉には出さない親の言葉も受け止めようとした。自分の声を、出さないようにした。出しても、誰も聞きやしない。言ったところで、相手の「善意」を喰らうだけなのだ。 そうやって、どこかに封じ込めてしまっていた。

雪が溶け、気温もあがり、少しだけ気持ちも高揚し始めたような気もした。地元での暮らしも、仕事も、やっと慣れてきたように感じた。毎日に、笑顔の量も増えてきたように思えた。 でも、知っていたのだ。本当は、もっともっと動いていたいことを。わたしにとって、動くこととは旅であり、旅に出ることで頭と体と心との均衡を保っていた。わたしにとって、旅は呼吸なのだ。要らないものを吐き出して、必要ななにかを全身で吸収する。それを繰り返し続けていくことで、わたしは生きている。

知らない土地へ行き、道に迷って途方に暮れそうでも、言葉が通じなくて、もどかしい思いをしても、旅を続けるだろう。何度でも、固くなりそうな頭を連れて、その中につまった「当たり前」を壊しに出かけていくだろう。

ここでの生活が悪いといいたい訳じゃない。恵まれてると思うからこそ、そこから飛び出して、素っ裸の自分はどんなやつなのか、知ることが必要なのだ。本当に大切なものは、遠くにいるほど近くに感じることもあるから。


旅するように暮らし、生活するように旅をする。
それが、わたしのライフワークです。
そして、これが、わたしの答え。
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by komatsukyoko | 2012-06-12 12:41
「一年前と同じだ…」そう気づいたのは、2008年の3月、彼岸の日にお墓参りに行く途中だった。青空だが、まだ寒い東北の空の下、わたしは突然焦りを感じた。ずっと、オーストラリアのワーキングホリデーに行きたいと思いながら、不安の方が勝って、具体的な準備なんて何一つしていなかった。その年の2月、母方の祖母が他界、7年の寝たきり生活を終えていた。祖母の死は、時間は限られていることとを改めて強く実感させた。「動けるうちに、動こう。」



祖母の死から3ヶ月後、5月の東京で桜井さんに出会う。これが、はじめの大きな一歩だった。その桜井さんとは、たった一人で、留学をサポートする会社を運営、本人もワーキングホリデー経験者、世界一人旅もしたツワモノである。その桜井さんと二人きり、個人カウンセリングで自分のことを話すと、目の前の桜井さんの表情が険しく変わった。「冒険したいけれど、怖いから安定が欲しい」という私の本音を見抜き、私を叱った。「自分のやりたいことの責任、取らないでどうするの。」たしか、そんなことを言われたと思う。初めて会った人に、きつく言われたことに驚いたが、当たっていたから言い返す言葉すら見つからなかった。
その後に行われた10人ほど集まった説明会で、オーストラリアでの生活についていろいろ聞くうちに、漠然とした不安は小さくなり、「住めるかも?」と思い始めていた。そして、東京の説明会から数日後、WHのビザを申請した。親にも友人にも言わずに。動こう、と決心した。



それから4ヵ月後の9月には、わたしはオーストラリアに立っていた。1年で帰る予定が、2年と半年に延びたのは、予想外ではあった。が、自分が自分でいられる場所を見つけた居心地のよさは、帰国よりも滞在を引き延ばす方が自然だった。



初めて降り立った地は熱帯のケアンズ、語学学校へ通う。そこから車で2時間ほどのバナナの町、イニスフェイルでファームの仕事、再びケアンズ暮らし、その後は資金稼ぎにまたバナナファーム。それからエアーズロックを旅し、アリススプリングスへ。3日滞在の予定がふとしたきっかけで、4ヶ月暮らすことになったその場所は、一番思いいれが強い。そこでセカンドビザを申請し2年目に入り、今度は南のアデレードへ。シドニーでクリスマスとニューイヤーを迎え、途中日本に一時帰国。またアデレードに戻りビザが切れる頃に、「もう一度英語力を確かめたい」とスパルタの語学学校へ学生ビザで通う。旅も仕事も勉強も、すべて必死だった。



もしも、英語だけ身に付けたいなら、日本国内で勉強するだけでも充分だろう。しかし、多くの移民から成り立つオーストラリアという国で、さまざまなバックグラウンドを持つ人々と出会い、生活を共にし、その空気を吸いながら暮らして身に着くものは言葉だけではない。



もちろん、楽なことだけじゃない。嫌な思いだってするし、痛い目にも遭う。苦しくなったり辛くなったりもする。「疑似体験で英語を学ぶ」のと全く逆で、自分の感情を揺さぶられたり、目の前に突きつけられる現実を乗り越えるからこそ、自分なりの英語が身に着いていく。感情や体験を伴うことこそ、リアルだ。その身を持って得た経験や知識は、誰にも奪うことができない。旅を続け、荷物がどんどん軽くなるのと同じ速度で、そういった自分の中に蓄積されるものは大きく増えていく。手に持てるなにかより、その財産のほうが重要だと気づくために、わたしはオーストラリアに行ったのだろう。そこでの時間は、わたしを大きく変えた。



なにかを掴むためには、他のなにかを手離すことも必要。日本でくすぶっていた気持ちを捨て、行動を選んだ。具体的な行動は、余計な不安を消してくれる。限られた時間を、自分の魂を躍動させるために、自分の夢に正直でいるべきだ。そして、その夢を広い心で応援してくれるのが、オーストラリアという国。ちょっとの失敗なんて、“No worries!” 








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今日は、わたしの「略歴書」として、留学エージェンシー「アクティブウーマン」のパンフレットに載ったものをこちらに転載。 (ブログ用に少し直した部分もあります)
「アクティブウーマン」は、大手の留学斡旋会社とは違い、勧誘は一切なし、手取り足取りの過剰なサポートもありません。しかし、桜井さんは必ず要所を押さえる、頼れる姉貴です!

昨年、新しくパンフレットを作るということで、代表の桜井さん直々にお願いされました。 「海外に飛び出したい誰かの背中を押せるなら!!」と快諾して書かせていただきました。


今後は、オーストラリア滞在中のことに関しても書いていきます!
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by komatsukyoko | 2012-06-08 21:42