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2012年も今日で最後!
今年は、出来なかったことに挑戦する年でした。


1月は、念願の北海道旅行!
ずっと憧れつつ、行ったことのなかった北の大地へ、青春18きっぷで向かいました!本州から青函トンネルをくぐり函館入り。比羅夫、小樽、札幌、芽室、釧路…とあちこち周りました。島だという感覚が全くしない!地続きに県境がない、ってすごいな…。
もともと移住してきた人が多いせいか、よそ者にとって居心地のいい場所でした。
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2月。期間契約でしたが、酒田でちょうど条件に合う仕事が決まりました。農業関係の機関で、田んぼや畑、果樹園に出かけて調査の手伝いはもちろん、物産市などイベントの販促物をデザインしたりもしました。いろんなことをやるので、「どんな仕事?」と聞かれてもしばらく答えに困ってました…(笑)
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3月、まだまだ寒い東京と鎌倉で、それまで会いたいと思っていた人に直接会うことができました!
ちなみに、東京で知り合った人と電車に乗った時、「わー、混んでる」と言ったら、「これはまだ空いてる方よ!」と。日曜の夜ですものね…酒田とは違うのだ…(汗)東京、すごいね…



4月、5月…気候も良くなってきていた中、心身ともに不調!!仕事行って帰ってくるだけで精一杯だった日々が続いていた。




6月3日は旅祭にボランティアで参加!アイさんに誘われ、オーストラリアで会った秋田の友人と3人で東京へ。会場は、旅好きな人たちのすごいエネルギーが集まっていました。
その前日、6月2日は、かさこさんと再会!少し言葉を交わした程度だった前回とは違って、今回はたっぷり話ができました!これが、後のいろんなことにつながることに!
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7月はオーストラリアを再訪!友人の結婚式に参列。「帰ってきた」と感じる海外の国は、ここだけかもしれない。と、同時にあれほど「帰りたい」と望んでいた土地なのに、住んでいた頃感じていた微妙な違和感も思い出す。自分が望む場所はどこなのか、現実的に考えるきっかけを拾った旅でした。
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8月31日、なんとコミックエッセイ大賞に応募作品を送った!幼少期、漫画家に憧れた時期もありましたが、自分でストーリー作成やコマ割りして描いたのは初めて。できないことをぐいぐいやっていく感覚は、苦しいけれど手応えのある作業。応募作品は、残念な結果に終わったけれど、手応えのある挑戦でした。
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9月2日、佐藤初女さんの講演会に参加!その講演会で、やっぱりやりたいなあ、と強く思い、講演会依頼のメールをかさこさんに送った…ら、なんと快諾してくれてうれしい驚き!
会場探しで酒田市内をあちこち周ったのも、数年ぶりに観光気分で楽しかった。
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10月の連休は、大学時代の友人たちと新潟へ一泊旅行。温泉につかって友人とその子どもちゃんたちとめいっぱい楽しい時間を過ごしました。
で、帰ってきたらひどい風邪をひき、治るまで2週間かかった…。
でも、治ったらなんだか体がすっきりしていたことには驚き。いらないものが全部体の外に出たようで体が軽かった。


月末は、5年ぶりにナチュラルカフェに参加!酒田公益大の学祭で、友人が中心になって毎年オープンさせるカフェです。キッチンやおいしいものの側で、お客さんの笑顔見ながら動くのは楽しかったなあ。
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11月はついに、かさこさんイベント開催!!11月15日からは写真展、17、18日は講演会二つと写真教室。まさか本当に、かさこさんが来てくれると思わなかった!夢だったことが目の前で現実になっていく瞬間に言葉が出ませんでした。行動することで夢は叶う、と強く実感できました。
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12月は予定通り、仕事の契約も満了。(ほんっっっとうに)いろいろありました。が、結果オーライ!意外に「世話になった!」と言ってくれた上司がいて、自分のやれることやり切ってよかったと本当に思いました。自分を成長させてくれるきっかけというのは、自分にとって望ましくない形でやってきますが、そこでどう工夫するかが大事ということを学ばせてもらいました。
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(最終日にいただいたアレンジ)


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⇧こんなのも作りました。


そして、自宅での時間がたっぷり取れるようになってから、大掃除開始!ここ何年かは、実家で過ごすのは短期間だったりしたので、「整理しなきゃ」「配置変えたい」と思っていたものもずっとそのまま。それを、思い切って掃除!大晦日の今日、やっとできてかなりスッキリ!部屋も広くなり、居心地がいいです。


2012年は、「ずっとやろうと思ってそのままになっていたこと」ができました!
また、「行動すれば、夢は実現する!!」と、最も強く感じた年。夢に見たことは、行動することで現実に変えることができる。こう実感できた経験は、本当に貴重な機会でした。

苦しい思いもたくさんしたけど、今まで生きてきた中で、一番いろんな感情を味わい、その幅の分だけ視界も広くなれたかもしれません。嫌な出来事も、目の前の出来事の上っ面だけで「運が悪い」と判断するのではなく、後々になって身になる、もしくはそうすると決めることで、結果は変わってくる。自分が「ああ、よかった!」って言い切ってしまえば、そうなるものだと知りました!

補足ですが、今年はシフォンケーキをたくさん焼いた一年でした…。しょうゆにトマト、モロヘイヤにかぼちゃ、さつまいもなどなど…。実家の両親が農業をしているので、野菜が豊富。それでお野菜シフォンが多かったな〜。また焼きますよ〜!

ここには書ききれないくらい、他にもたくさんの出来事がありました。新しい出会いと再会、また別れもあり、日常の中にこんなにも学ぶ機会があるのだと気づかされました。
2012年にお世話になったみなさま、本当にどうもありがとうございます!2013年も楽しい年にしましょう!どうぞよろしくお願いします!


小松恭子
2012年12月31日
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あれは、2011年の春だった。オーストラリアから日本に帰ってすぐ渡った3月の瀬戸内海。まだまだ寒くて外の景色も色づく前。冷たい海風とそれまでと全く違う環境に、ずいぶんと打ちのめされていた。

そこで始めた仕事は、美術館のスタッフ。まだオンシーズンではないその時期の静かな空気が、余計に「逆ホームシック」を重症にしていた。

空が違う。

匂いが違う。

話す言葉が違う。

人が違う。

オーストラリアの広い空の下に帰りたい。

そう繰り返し思いつつも、またオーストラリアに戻ることに抵抗もあった。現地でのビジネスビザの話も断り、その地を離れた。決めたのは間違いなくこの自分だ。迷いつつ動いたところで、今の自分は変わらない。そう思い、置かれた環境に慣れようと必死だった。

もしかしたら、3月11日のことも影響していたかもしれない。帰国して8日後に迎えたその日、わたしはFacebookに書かれたメッセージから事の重大さを知ることになった。3月の終わり頃になったら、いったん地元に戻ろうとはしていた。しかし、日本海側とはいえ、同じ東北。少なからず影響は受けており、そこに戻ることも交通手段などいろんな面で不安が残り、帰省の延期を決めた。オーストラリアと地元・山形の間で、宙ぶらりんになってしまった気持ちが重くのしかかってきていた。

オーストラリアに合計2年半近く滞在して、当時は、現地の生活にすっかり慣れた自分がいた。もちろん、途中は日本に帰りたいと思ったこともあったし、一時帰国もした。しかし、その間に身につけた習慣と引きかえに、日本のやり方を削ぎ落としていった部分もあった。そうやって少しの痛みも伴いながら身につけたことを、帰国したことでまた剥がしていかなければならない。この作業に、ずいぶんと時間がかかった。

「自分の生まれ育った国」だから、また溶け込むのは簡単だと思ったのだけれど、渡豪前の自分とはすっかり変わっていて、日本の見るもの触れるもの全てが初めてのような気持ちだった。「逆カルチャーショック」の方が、ものすごく強烈だった。それで逆ホームシックをこじらせてしまったのだけれど。


でも、戻りたい・帰りたいと思う場所があるというのは、それだけ自分にとって大切な場所があるという証。ホームシックは、そういうことに気づかせてくれるきっかけなのだ。そして、そこに帰ることの選択肢を持てることは、実は恵まれていたのだ。

アフリカのどの国だったか覚えていないのだけれど、オーストラリアに移住してきたばかりの人に会ったことがある。彼と彼の奥さんたちは難民キャンプで生活していたそうだ。教会の援助で来れたようなのだが、彼らにはもう戻る場所はない。が、彼らも同じように故郷を想うようになるのだろうか。帰ろうと思う時、帰りたい場所へ行くことはできるのだろうか。どこまでも明るい彼らから、元いた国での状況が全く想像もつかなくて自分の目線でぼんやりそんなことを考えてしまったりもした。

今は、すっかり日本の生活に慣れた。それと同じくらい、「どこかに移住したい」という気持ちもどこか薄らいできている。オーストラリアで暮らしていた頃は、長くて半年、短いと3ヶ月ほどで土地を移動していた。たくさんの街をみたかったからだが、どこかで「永住する場所」を探す気持ちはあったし、土地との相性を測っていた部分もあったかもしれない。

そうして、あの広い大地を巡って島に渡り、そしてまた地元に戻ってきた。景色は、少しずつ変わっていくけれど、この場所で迎えてくれる変わらないものもある。自分の中の変わっていくもの、変わらないもの、そして変えちゃいけないもの。それらを確かめたくて、ここに戻りたくなるのかもしれない。そして、会いたくなる人たちがいるということは、どれだけしあわせなんだろう。
今はまだ、「もうしばらくは」ここで過ごそうと思う、としか言えないけれど。
自分にとって、大切な場所であることは確か。

そして、ここは帰れる場所であると同時に、新しく一歩を踏み出す場所でもあるのだ。
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26歳の頃、なぜかいろんなことがうまくいかなかった。

気になっていた人には彼女がいたり、仕事はあったけど、転職するにあたって年齢制限でひっかかったり。今だから言えるけど、「そんなささいなこと」で、行き詰まったように悩んだ。

当時はそれで精一杯だったからなのかもしれないけど、今でも"もったいない!"と思い返すのは、26歳で「やりたいことをやるには遅すぎる」と思っていたこと!

それに、周りの「そろそろ落ち着きなさい」の声も気になっていた。

26歳なんて、7年前!あっという間に時間は経って、あの頃より年もとったけど。今の方が楽しい。これは、断言できる。
あの頃より、やりたいことも増えた。自分に何ができるかできないかも、前より知ることができた。

あの頃、怖かったのは、年をとることではなくて、「このまま好きなことに挑戦しないで年をとること」だったのだと思う。自信もなく、不安はいつもあった。挑戦すらしないで、そんな気持ちは消せはしない。なんとなく「好きなこと」を受け流していると、そのしっぺ返しは大きくつく。
「好きなこと」で勝負するのは、怖い。失敗したらダメージが大きいから。でも、「そこそこ好きなこと」で得られることは、やっぱりそこそこでしかないのだ。当時のわたしの虚無感は、それだったと思う。

今の33歳のわたしは、26歳のわたしより、ずいぶんと失敗もした。痛い思いも、悲しい思いもたくさん味わった。(と、いうより味わされた、かな(汗))その代わりに、得たものもかなりの大きさ。

(その転機となったのは、オーストラリア行きだったのだけれど、29歳の時の決断だった。何年もくすぶっていた「行きたい」という気持ちを、実行に移した。あの時、もし行かないでいたら?…なんて考えるのは怖いほど。)


そういうことがあったから、今は、「始めるのが遅い」なんて考えることはなくなった。幸い、周りには、新しいことにどんどん挑戦していくわたしより年上の方たちが大勢いる。そういう方たちの、好奇心に満ちた眼差しは、ほんとうに若々しくて澄んでいる。たぶん、26歳の頃のわたしのものより、ずっともっと若く見えると思う。

10年後の自分に、「もったいない!」なんて言われないように、挑戦し続けようと思う!

20代の頃より、やりたいことが増えたって、いい傾向かも!頑張ろうっと!!
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もうすぐ今年も終わり。来年の目標は…といいたいところだが、今度はちょっと違う目標設定の仕方をしたい。

「これから10年後・20年後にどうなってたいか、なんて考え方は違うんだよな。10年後や20年後の自分から今の自分を振り返って、こうなるにはどうしたらいいか考えるんだよ。そうすると自ずとやるべきことが見えてくるから。」

これは、オーストラリアで出会ったある人の話から。その頃、これから先をどうしようか考えあぐねていた。だから、この逆の発想がずいぶん心強かった。将来のわたしから見たら、今のわたしが不足しているなんて当然。これから補えばいいと思えたから。

ワーキングホリデーも2年目が終わろうとしていた頃、学生ビザを申請して最後に英語学校にもう一度通い始めた。ビジネスビザの話もあり、その後の進路を決めかねていたのもあった。その結論を迷いのないように決めたいのもあったし、自分の英語がどこまで伸びたかを試すためにも学校に行くことにした。

その学校は、宿題の多さで有名なスパルタ校だった。しかし、教えることの本当に好きな先生たちが揃っている環境で、学びたい欲をものすごく刺激してくれた。
その中でも、ちょっと違う存在感の先生がいた。40代後半くらい、いつも、もじゃもじゃのグレーの髪に、おおきな眼鏡、あまり笑わない口元。それがジョージだった。(そういや、英語学校では先生のこともファーストネームで呼んでた)

生徒たちからは、変わってるという評判だったが、わたしは授業の進め方や、合間に語られる彼の人生観に関する話が好きだった。放課後の追加の授業も進んでとっていたが、他に生徒はいなかったり、途中から来なくなったりした。それで、授業はほとんど二人だけだった。だから、よく彼の話も聞かせてもらった。

ジョージは、ギリシャからの移民で、家族と一緒に10歳の頃にオーストラリアにやって来たそうだ。彼は、高校を出た後、多くの移民がそうするようにタクシーの運転手をしていた。が、ある日、乗客から「タクシーの運転手なんかやってる奴らは頭が悪いんだ」と馬鹿にされ、大げんかしたらしい。最後には、「そこまで言うんだったら、大学を出て英語教師になってやる!」と啖呵を切ったそうだ。(言った後もその客は「絶対、無理だ!」と言ったらしいが…)
それから本当に、大学を卒業して英語の教師になった。
「あの時は、本当に頭に来たけどね、大学に行ってよかったよ。今でも運転手をして同じ生活をしてかもしれないなんて、もう考えたくないね。教えることが楽しいからね。」

その頃は、今より若かったのもあり目先のことしか見えてなかった、と言っていたが、頭に来たことで人生を方向転換させたってすごいエネルギー。英語教師歴も長くなり、上級のクラスも受け持てるようになって、やりたかったこと・ここでできることは全部やったらしい。それで今度は、また大学の授業をいくつか履修して別の仕事をしたいとも言っていた。その関連の本も空き時間に読み漁っているようだった。(わたしにも「本はたくさん読みなさい。」といつも言っていたな。)

日本じゃ(もしくは地元では)、こんな「フラフラしてる」おじさん会ったことなかったもんな。「フラフラしている」と言われるわたしが親近感を持ったのは、そういう理由もあったかもしれない。でも、それって、決していつも「途中で投げ出す」とイコールではない。自分で決めたことを全部やり切ったから、次へ移る。
もちろん、長年同じことを続け見える境地もあるだろう、それも有り。でも、たくさんある興味をそれぞれ突き詰める好奇心と行動力がもたらす境地もある。変化が、数十年後の自分から見て必要なことだったら?それも有り。

これから先、10年後、20年後はどんな自分になっていたいか。そこに到達する過程の一年が来年2013年。
よく、学校で「来年の抱負」って書かされたけど、なんかよくわかってなかったもんな。どこへ行きたいのかわからないまま、交通手段は選べない。


わたしが、来年すべきことは?
…考えすぎでも動けなくなるタイプなので、とりあえず動いたり休んだりしながら考えます。また、楽しいことやらかしますよ!!
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1996年1月9日、17歳の誕生日は、留学先のアメリカでホストファミリーのMros家と迎えた。
アメリカ滞在は、1995年7月から1996年6月まで。ジョージア州の小さな街で、7人家族のお宅にホームステイして、現地の公立高校に通っていた。
(写真は、ホストシスターの彼とその弟も入っています。)
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久しぶりに当時の日記を読み返したら、「この考えがわたしの軸になっているのでは」、と思うことがあった。これを、覚えておきたくて今日は記します。


ホームステイ先は、両親と子ども5人の大家族。その5人のうち、4人が養子。肌の色も、瞳や髪の色もみんな違った。養子として家族になることは現地では珍しいことでもなく、本人たちもその事実を知っていたし、周りも当然知っていた。生まれてすぐ養子に来た子もいたし、小学生になってからの子もいた。理由は、さまざま。(わたしがこのお宅に来た当初は、「また養子の子が増えたの!?今度は大きい子ねえ〜」と言われたこともあったらしい。(笑))


たしか、ある日の夕飯のテーブルだった。いつものように、みんな一緒に席に着いていた。ふとしたことから、アメリカと日本では、「養子」に対する考え方が違うのは、文化や歴史が違うからだね、という話になった。
ホストファザーは小学校の教師をしているが、学校が長期休暇になると軍の仕事をすることもある。それで、日本に来たこともあったそうだ。テーブルに着いた8人の中で、アメリカと日本の両方を見たことがあるのは、彼とわたしの二人だけ。この日は、食卓で話すのが苦手で口数の少なかったわたしにしては珍しく、話題の中心になって、たくさん話をした。

その日の、日記から。(稚拙なところもありますが、どうぞお許しを)

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1996年1月17日

地球が人間を作り、地形や気候が人間を育てた。そして人間が文化を生み出し、歴史を作り上げてきた。

・文化ー⑴武によらず文による徳で人民を教化すること。
⑵世の中が開け進むこと。文明開化。
⑶人間が社会の成員として作り出していく、物質的・精神的成果のすべて。
・歴史ー⑴人間社会における過去の時代の興亡、移り変わり。また、その記録。
⑵事物や人の現在までの経歴。また、その記録。
(当時持っていた、国語辞典からの引用だと思います2012.12.26)

「文化」は難しいこと言ってるけど、このわたしたちが今触れている空気そのものではないのだろうか。
この家には、養子として受け入れられた子供たちがいる。本人も知っている。もうみんな、どこか大人だ。わたしにはないものを持っている。

〜中略〜

短い歴史、まだ好奇心の旺盛な十代の少年のような国、アメリカ。今いる人たちの多くが別の国から渡ってきた。いくつかの湧き出た水が一緒になって川を作るように、いくつもの人種が一つの国を作り上げてきた。
そのためか、血筋というものは私たち日本人のように気にならないらしい。世襲がどうとか…
長い年月が、老人の考えに鍵をかけてしまうように、深い歴史も国の考えを固めてしまうのでは。人々の心は、どうだろうか。

どの国にも問題はある。それは、起こるべくして起きたものだろうか?過去にこだわりすぎではないだろうか?

老人の独り言が、若者を邪魔しないように、新しさが強い時もある。しかし、老人の知恵だって必要なこともある。
どの国がいいとか悪いとかではないのだ。老人の知恵と、若者の好奇心がうまく合わされば、素晴らしいことが可能ではないだろうか。

単純な言葉だけど、「世界は広い」。心からそう思う。そして、自分は小さい。

大きな鍋の中に、一粒の塩を入れても、その味は変わらない。でも、たくさん入れれば、味は変わっていく。そして、別々の材料がよく集まればこそ、素晴らしい料理ができあがるのではないだろうか。

目、物を見るだけでは意味がない。何を感じ、何を考えるか。生きるということ、それもただ存在するだけでは意味がない。自分もできることから、始めようと思う。

人生の1ピースをまた見つけたような気分で満たされた。パネルにきちんとはめ込んでおこう。

ああ。本当に世界が見たい。いろんな人と話をしたい。

もっと勉強しなくちゃ。

ちいさいことは、おおきいことだ。


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表現の仕方にツッコミいれたくなる部分もありますが(汗)、この時の考えが、後の自分に多大に影響していたことに気づかされました。
実は、上の写真の頃の日記を読み返すと、ずいぶん悩んでいた様子。(写真の中でも、せっかくのお祝いの日なのに、浮かない顔…。もっったいない〜!)英語の伸び悩みもあって、自分の殻を破れずにいた。

でも、この会話をきっかけにいろんなことに気付いた。ひとつは、「思ったより英語を聞けるし話せるようになってるじゃん!」てこと。もうひとつは、「自分から働きかければ、物事は変化する」ということ。おとなしい自分が嫌なら、どんどん話せばいい!
そして、もうひとつは、「ちっぽけな自分」。

アメリカに行くまで、日本の親元でわがままで身勝手な世間知らずだった。でも、そこを飛び出して、「自分がどれだけ知らないかを知る」ことができたんだと思う。これがすごく大きかった。

アメリカでの生活を積極的に楽しんだのは、それからだったと思う。いろんなものが吹っ切れたように。

日本へ帰国の日に撮ってもらった写真は、顔が全然違う!あの誕生日の写真から5ヶ月ほどしか経っていなかったけれど、こんなにも顔つきが違うんだ!と今になって驚いた。

帰国して、しばらくはアメリカに帰りたくて、泣いたこともあった。それが、生活を楽しめた証拠だったかもしれない。


ホストファミリーが決まる前、また別の家族が受け入れを希望していたらしい。でも、順番でMros家に決まったと聞いた。もし、他の家で過ごしていたら?今のわたしはあったのかな?
人生のタイミングは、予期せぬところで絶妙に仕組まれているようで面白い。

あの頃のわたしが望んだ自分に、近づけているのかな。
行きつ戻りつするのも、ひとつずつピースを集めるため。大きなパネルに、今の精一杯のピースをはめ込んでいこうと思う。これからずっと先の自分の布石にするために。

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大掃除も進んでいます!

押入れの中で、昔のアルバムや写真、大学時代の作品などが幅をとっていた。それらは、もっと小さくまとめて空き部屋の棚に移動した。「いつか使うかも」と思って取っておいたものはゴミ袋の中へ。
机は、逆に、使ってなかった古いものをもう一台出して、作業スペースを拡大。
明日は、押入れの中を改装。(やっぱり、「今日はここまでする!」と決めてかかると早い。)

今回の大掃除プラス押入れ改装は、
・あるものを使う
・いらないものは捨てる
・足りないものを足す
という単純な行為の繰り返し。
でも、その簡単なことがものすごく難しかったりする。「いずれ使うだろうから」「もったいないから」という感情が邪魔するのだ。

今までしまいっぱなしにしていた大量のものと、いっぱいになったゴミ袋を見て、思い出したことがあった。オーストラリアにいた頃、仲良くしていたアルゼンチン出身のマリアナとマキシのこと。

彼らは夫婦で、わたしと同世代の30代はじめ。アルゼンチンのブエノスアイレスで大学を出た後、しばらく働いてからオーストラリアへ移住を決めた。現地での情勢の不安があり、少しでも落ち着いて暮らせる場所を求めて、マキシの姉がすでに永住権を取って暮らすオーストラリアに渡った。その時の話を、マリアナに聞いたことがある。
「アルゼンチンを離れる時は、いろんなものを捨ててきたんだよ。全部は持ってこれないからね…。大切にしていた家具を手離したのがすごく悲しかった。」
それを聞いて、わたしは、親元に置いておけないの?なんて軽々しく聞いてしまった。
彼女は、少し悲しそうな顔をして、
「だって、親の家もそんなに広い訳ではないし、もうアルゼンチンにはしばらく戻らないから。気軽に帰るには、遠すぎるからね。」
そうだった。日本からオーストラリアは直行便のある街ならせいぜい7、8時間の距離。チケットだって安いものもある。自分の荷物も部屋も日本に残したまま海を越えるのと、後戻りしないと決めて母国を出るのでは、全く違う。
必要最低限のものばかりをスーツケースに詰めてアルゼンチンを離れた2人。きっと、わたしには想像もできないくらいの覚悟があったのだと思う。
例えば、もし、わたしが彼らのような立場だったら?何を捨てて、何を残すだろう。必要なものは、決して多くはない。ものにあふれかえった引き出しを空っぽにして、もう一度、自分にとって必要なものは何かを考えた日でした。


今年も残すところ、1週間切りました。
来年に向けての準備、着々と進んでいます。
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昨日は、隣の鶴岡市へ出かけた。行きの電車の中では、iPhoneで撮った写真の整理や、ブログの記事の下書き、ちょっと溜まっていたメールの返信などをした。
電車が目的地の駅に着くまでの時間内に、全て完了!
鶴岡へ着いてからも、予定していたことと、それ以外にやりたかったことも全てできた。
イベント二つに顔を出し、たくさんの人たちと話したり、時間の合間に、ずっと行きたかったお店に足を運んでみたり…。

昼頃から夕方までの滞在だったけれど、いろんな人たちと会っていろんな会話をしたぶんだけ、すごく充実した濃い時間を過ごした。

家に着いたのは20時を回っていたけど、朝、目が覚めてからまだ12時間しか経っていないのか、と考えると不思議な感覚。
家を出る前の自分と、帰ってきた自分ではすっかり経験値が変わっている。それまで会ったこともなかった人たちと知り合えたし、初めての場所にも行くことができた。
家から片道1時間ほどの距離でも、まるで旅のようでした。

それとうってかわって、今日は自宅で掃除や片付け。メールの返信も遅くなったり、片付けも終わらせようと思ったところまで終わらず…。

昨日のように、時間の決まった行動をしているのは、短いスパンの締め切りがいくつもあるのと一緒。電車が着くまでの時間、友人と待ち合わせの時間…など、その時間に間に合うように行動する。そして、締め切りまでが短いと、「できる・できない」の判断もしやすくなる。例えば、帰りの電車まであと30分あるから、あのお店に行って戻ってくるなら間に合うな、お店にいられるのは10分くらい…別のお店は、次回にしよう…と段取りがつけやすい。忙しい時の方が、仕事を終わらせるのが早かったりするのもこういう理屈。

今日は、時間の決まった用事はなかったのもあったし、「家の中のことだから次の日でもいいや」とどこかで思っていたからかもしれない。昨日の充実ぶりと今日の時間の使い方の違いに、ちょっと驚いてしまった。
(もちろん、やったことが違うのもあるけれど)
それでも、同じ24時間なのだ。

時間の使い方で、一日がこんなにも違うなんて。

やりたいことがあるなら、締め切りを決める!そう意識してやったほうが効率あがるな、と実感した日でした…。
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by komatsukyoko | 2012-12-24 01:18
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鶴岡まで足を伸ばしたので、今日から開催されている「イチローヂ商店の楽しい3日間」へ行ってきました。
これは、この商店街にあり使われていなかったお店を作品の展示とコンサートやワークショップの開催場所に使ったイベントです。
詳細はこちらFacebookイベントページから


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入口のドアを開けた途端、楽しげな雰囲気にわあっと包み込まれたのです。大勢の子供たちと大人の中に知ってる顔もあり、全く見ず知らずの輪の中に飛び込んだ訳ではありませんでした。でももし、誰も知り合いがいなくても、迎え入れてくれる雰囲気は決して変わらなかったと思います。



主に準備をしてきたのは、東北芸術工科大学の学生・結城ななせさん、卒業生で現在は鶴岡在住の吉田祐子さんと橋本匡史さん。
結城さんは、ここに滞在して作品を描きあげたそうです。(写真トップ後方)また、結城さんは、このイチローヂ商店がある商店街で配られている「山王札」のイラストも担当されたそう。(消しゴムはんこだそうです。この細かさ…すごい!!)

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(〜1/10まで商店街の張り紙のあるお店にいくともらえるお札です。※なくなり次第終了)
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(裏面には、壱から八まで揃うと一枚の絵になります。これを持っていくといいことが…!)


この建物の中にいるだけで、ここが本当に好きで、大切にしている思いが、手に取るようにわかるのです。そして、それは訪れた人たちにも伝わるようで、そこにいる人たちみんなが本当に楽しそうなのでした。

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(奥にあるのは、吉田さんの作品。繊細な描写で山形の風景を描いています。実物をぜひみてください!)

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(ワークショップの様子)

かつてわたしが通っていた大学では、ものを作るのが好きな人たちと、そんな人たちに作られたものに囲まれていました。(わたしも先の3人と同じ大学を卒業) 良し悪しってもちろんあったけど、純粋に「作りたい」欲のために作るという行為が、社会に出る前の若さと合いまってすごいエネルギーを発していたことを思い出します。
お金の発生するかしないか以前の問題で、その行動に情熱があるのかどうか。それって、自分で思うよりも周りに伝わるものだと思います。

今回のイベントでは、好きなことをやる人特有の情熱がそこかしこに散らばって、建物がまるで光を発しているように感じられるくらい強いものが伝わってきました。そこには、やらされているダルさなんて微塵もなく、建物や準備に手をかけた人たちが、本当に楽しんでやったんだろうなとひしひしと伝わってくるのです。

自分ができる方法もしくは自分が楽しんでやれることを地域でやっていくこと自体が結果的にその場所の活気につながっていくのではないでしょうか。やっぱり、楽しんでる人たちがいるところに住んだり旅したいって思うから。


これからの地域振興って、どんな形がいいのか考えさせられたイベントでした。

…なんてことを難しく考えなくとも単純に楽しい場所でしたよ!
開催は、24日まで!ぜひ!
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誰かの生きてきた軌跡を聞くのは、まるで一冊の本を読むようだと思う。(面白いかどうかは別にして)

すでに完成された人よりも、「ちょっと先を行く」人の話が、自分の人生の視界を広げてくれることが往々にしてある。
だって、もう完成された立派な人の話は、「あー、すごい。でもなんか自分と全然違うしムーリー」と思うこと易し(わたしにとっては)。

しかし、「ちょっと先を行く」という人には、「もしかしたら、自分も追いつけるかもしれない!?」と思える。(実際は、その相手も前進しているので追い付くのは容易ではないのだが)
そして、「この人、一年後はいったいどうなっているんだろう!?」と楽しみにさせてくれる人ほど追いかけたくなる。追いかけるというのは、やり方を真似て学ぶこと。そうすることで、相手と自分の違うところも見つけられ、結果的に自分の方法が見つかったりする。

そんなことができるのも、その人がそれまでの生き様や身につけてきたことをいろんな形で公開しているから。本やブログだったり、作品や講演会だったり。そうやって知ることで視界がバッと開けることもある。

誰かに自分の人生を語るのは、怖いことかもしれない。もっと先を行く人に「青い!」なんて思われるかもしれない。
それでも、わたしも発することで他のだれかの何かのきっかけになれたら。1000人いるうちのたった1人にでも、「ああ、こんなやり方があったんだ!」と言ってもらえたら、とてもうれしい。
同意してくれない999人に遠慮してたら、1人の可能性も広げられない。わたしは、青くても未完成でも、これからも発信していこうと思う。青い今だからこそできることが、あるのだから。
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「なつこむぎ」

とおくのものがここへ来ると
きまって言う
ことばがあります。
「ここはなんにもねえんだな。」
だから、そんな時にはね、
「あなたのところに無いものが
ここにはみんな、ありますよ。」

絵本「ななつうた」(2007年)より
絵と文:多田知史

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「地域の魅力」を考える時に、多田知史くんの絵と言葉が、すごくしっくり来るのです。

多田くんは、山形市在住の画家、かつて大学でクラスメートでした。

大学のある場所は、後ろには山、近くの市街地にも田んぼや小さな林が点在する緑の多いところでした。多田くんも山形出身。もしかしたら、彼もかつてのわたしと同じように、地元より外へと気持ちが向いていたこともあったかもしれません。

多田くんのこの「なつこむぎ」の絵に出会ったのは、たしか山形での個展。卒業してからだいぶ経ち、わたしはその頃、たしかオーストラリア行きを決めていた頃だったと思います。当然、視線の先は外へ。地元の(自分にとって)好ましくないようなところばかり見えていたこともあり、「やっぱり自分は外へ行こう」という思いが強くなっていたところでした。

そこに、彼の言葉。

「あなたのところに無いものが
ここにはみんな、ありますよ。」

絵の中には、広く広く続く青空と黄金色の稲穂。田んぼの広がる、地元の景色をそこに見るようで、ハッとさせられたことを覚えています。

その時はわたしはその理由を考えないようにしました。もうすぐ離れようとしている地元。ここではないどこかで暮らすと決めた覚悟を崩したくなかったせいもあります。

そして、今、遠くに住んだ数年を経て地元に戻り、また彼の言葉を思い出しました。遠く遠く離れるほど、自分のルーツを否応なく意識させられます。海外に住んだことで自分の根っこが、日本の、そして山形の、ここ地元にあると改めて強く思わされるのでした。

かつて、彼の絵の「とおくのもの」のようになんにもない場所だと思っていたこの地に、その頃見えなかったたくさんの魅力を今のわたしは見つけました。

よそにはないもの。ここにだけあるもの。そういうものを、他の場所・地元の外や県外の人たちとも共有していきたい。今のわたしの立場じゃ、まだまだ理想論なのかもしれないけれど、そんなふうにたくさんの魅力を伝え、広める役目を果たすことが目標です。


多田くんの作品は、まるで自分の原風景のように、その世界にいつの間にか入り込めてしまう。暖かい気持ちになれるんです。原画を見るチャンスがあったらぜひ!


多田知史くんのプロフィールはこちらから

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by komatsukyoko | 2012-12-18 20:11