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波打ち際のすぐ側で
見上げる花火の中に月



7月26日、遊佐町の花火大会に行ってきました。
人ごみの中じゃなく、砂浜の上でゆっくり見れるのが他と違うところ。

花火の開始1時間以上前は、駐車場もまだ余裕でした。
時間が遅くなったらやっぱり満車になったようでしたが、
離れたところにある別の海水浴場の駐車場もあり、
そこからシャトルバスが往復するので便利だったみたい。

帰りも、駐車場の警備の人たちの誘導がとってもうまくて
ほとんど待たずに出れました。

会場のすぐ隣は温泉なので、入ってくればよかったかなー。

こじんまりして、ゆるゆる過ごせる花火大会もいいものだなあ。




イラストレーター こまつきょうこ HP 
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ちょっと昔の話だけれど…
きっと、ご自分でもかけてみたかったのではないでしょうか。
(興味がなかったら、眼鏡の話題にも触れないと思う。)

持ち物だけでなく、職業や立場、状況、経験など
(ほんとうは)自分が欲しくて欲しくてしょうがないものを手にした人を見ると
うらやましいのだ。それは自然だと思う。
でも、それを手にしていないから、持つ人自身やそのことを批判して納得したつもりになっちゃう。
持たない自分を肯定するためにね。

それも自分を守る術なのだろうけど、素直になれたら、もっと楽ちん。




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かっこいい人を見ても楽しいが、
きれいな人を見るとドキドキする。
特に自分よりは年上なんだろうな、という人の「自分の経験値じゃそこに近づくのはまだまだ」と
思わせてくれる美しさに出会うとカルチャーショックのようなものさえ感じる。
美しさの凄みと、それ故の近寄り難さから慣れるまで挙動不審になってしまう。(!)








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     ↑なんかよくわかんない理由だったりする。
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こういう人にはお近づきにならない方が身の安全かも。
親切なふりして、相手の勢いを奪おうとする。
自分はなんにもしないから、相手も変化しないよう(言葉で)押さえようとする。
きいてみたらいい。
あなたがやろうとしてること、やっていること、
ちっともやったことがない人だから。
無駄に他人の心配をする人ほど、行動範囲が狭い。
そんなに心配なら毒味でも先発隊でもやって
どうかわたしの身の安全も確保していただきたいところだ。










イラストレーター こまつきょうこ HP 
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「あのイベント、興味ないけど知り合い大勢参加するしな。」
「いろんな人と知り合えるチャンスだし、きっと行った方が得だと思う。」
「ほんとはその日は休んでいたいけど、付き合いも大切だしね。」


って思うなら、イベントでも飲み会でも行くのやめたら?って思う。
もしかしたら意外と楽しいことがあるかもしれないけど、
「行きたい」って素直に思えない時点でわかってるはず。
ほんとはもっとしたいことがあるのでしょう。
予定をザワザワさせて、忙しくしてると、悩む暇もなくなるかわりに
考える時間もなくなるからね。
本当にしたいことが何なのかわからなくなる。

誰かの価値観に、自分を思い悩ませる暇はない。

付き合い悪い、と批判されたところで、
そういう人との付き合いは必要?
本当に大切な人とは、お互いの一人の時間も大切にできる相手だと思う。



  






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久々に鼻血が出ました。
インクみたいに真っ赤でした。





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えっ ◯歳!?

思いっきり驚いてしまった。
さっき初めて見かけたきれいな人は、
その年齢より10は若く見えた。

だって、表情はいきいきとしていて、
タンクトップからみえた肩から腕のラインがとってもきれいだった。
(自然と視線がそっちにいってしまうの。なんだかキラキラしていた。)

その人よりかなり若くても、死んだような顔した人って
何人もみたことあるもの。

年齢は、生きた時間を表すけれど、
その人の見た目を決める最後の一手にはならないね。

若さゆえのお肌もきれいだけど、
経験重ねてできた笑い皺だって美しい。





そうだ、そうだ、そうだった。
こういうことを、オーストラリアにいた時にいつも感じてた。

そばかすだらけでも、ちょっと太めでも、流行の服なんか着なくても、
ものすっごい幸せそうな笑顔をする人って人目を引く。
白髪でも、やせっぽちでも、どんな肌の色をしていても。
お金持ちでも不幸せな人もいたし、手作りの小さな家に住んで庭の果物を
食卓で分け合うことを楽しみにしていた人もいた。

日本に帰ってきて感じた逆カルチャーショックの中に、
年齢のこと気にし過ぎ、というのもあった。
「若く見えますね」に喜ばないといけないの?とか、
「あたし来年◯歳だし〜」とか、大して婆さんでもない人を婆さん呼ばわりしたり。
◯歳になったら〜して、□歳になったら=して、という考え方が
あまりにも多く感じてなんだか疲れてしまっていたな。
もちろん、どこの国にも多かれ少なかれあるとは思う。
けれど、どうしてだろう、日本にいるとそのプレッシャーはものすごく大きく感じる。

その理由のひとつに、オーストラリアのような移民の多い国だと、
基準が多くて比較しきれないからというのもあるだろう。
日本で育った自分の常識なんて通じないことなんて、いくらでもあるし、
それぞれが考える良識だってそれぞれ違うから。
だから、どこかの基準に自分を合わせるのではなく、
自分の中味をちゃんと知っていなきゃだめ。何を、自分は基準とするのかを。
そういう意味での大変さというのはあったけれど、
それって、自分が決めること。
でも、日本で感じるような、年齢とか自分ではどうにもならないことに
感じる変なプレッシャーは、ほとんどなかった。
もっと、長く住んだらまた違ったのかもしれないけれど。
そこから学んだことはすごく大きい。

年齢を言い訳にするのは、いつだって簡単。
でも、自分の在り方を決めるのは、年齢でも他人でもなく自分なのだ。




イラストレーター こまつきょうこ HP 
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かわいい着こなしよりも、「色気」のある着こなしが断然いいと思う。
そのためには、体型への努力と内側からにじみ出る魅力が必要。
そうでないと途端に品がなくなっちゃう。
露出することで色気が出せると思ったら大間違い。
20代のうちは、(多少多めに肌を出していようが奇抜なものを身につけようが)若さで許される部分があるけれど、
30代になると、途端に、顔と体型に、中味がはっきりと現れてくる。
何を食べ、どんな生活をし、どんな考えと行動をしているか、
見た目にどんどん現れるのだ。隠せるものじゃない。
逆のいい方をすれば、知性や品は内側からにじみ出るものだとも思う。
色気だってそう。
知性のある人ってなんだか色気も見え隠れするのだよな。


Illustration: from sketches in July


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一回、その石頭をぶっ壊してこい、

と言いたくなることもある。



昔、こんなことがありました。
オーストラリアに行く前、働いていた職場に、新しい女性が入ってきた。
60−70名くらいいる中で、10名くらいが期間の決まった契約社員。
わたしもその10名のうちの一人。そしてその新しい人、Aさんも。
女性はベストとスカートの制服はあったものの、中に着るシャツや靴下・ストッキング、
内履きは自分で用意するんだけど、上はえり付きシャツに足元は黒が多かった。
Aさんが入ってきてしばらくすると、
「なんか変わったものばかり身につけている」と噂を始めた人Bさんがいた。
で、何かあるたんびにBさんはAさんの話をする。
まあ、たしかに、色使いとか、違うと言えば違っていたかも。
しかし、わたしは、他人の選ぶものは正直どうだっていい。
例えば、悪臭を放つとか(!)、害を及ぼさない限り、ほんとどうだっていい。
まゆげがなかろうが、変な模様の靴下を履いていようが、どうでもいい。
そんなことより、あいさつ返してくれないとか、電話も気付かないふりするとか
そういうのは「おい!」と思うけど。

そのBさんは、どんどん悪口を言ってまわる先を増やしていった。
それに同意してなのかもともとそう思ってた人たちだったのか、
他に何人かもAさんへの態度が少し変わってきていた。

こういうのほんとどうでもいい。嫌なら、勝手に思ってろ、って話。
仕事上、差し支えがあることなら対応が必要だけど。
陰口言い合うことで連帯意識を増やして、罪悪感を減らそうとしているだけ。
やってることほんとダサい。

小学生の頃の、いじめの始まりってこんなんだったな、確か。
大人になってもいるんだよね、こういう人間。

自分がまともだと思い込んでいるから。
自分だけがまともで、そのかわいい自分と違う種類の人は醜くくて間違っていると思い込んでいる。
そんなの幻想だって。早く気付けよって話。

限られた期間でも、一度痛烈に
理解の限界を越えるような出来事に直面するって必要だと強く思う。

自分一人がその場所でよそ者、で、暮らしのあらゆることを0から始める、とかさ、
「はーーーー?何それなんでそんなことするの!?」ってことが常識の人たちと一緒に暮らす、とかさ、
凝り固まった頭をかち割られるような経験をする出来事に。

それまで持ち歩いていた経験とか常識とかじゃ全く太刀打ちできないことを身を以て知ることで、
世の中には「自分の理解できないことがたくさんある」と体で理解できる。

”わたし海外には出張でよく行ってます♪”っていう人の中にも、え、
こんなの輸出しちゃっていいのって人はいる。
決められたルートだけ、準備されたものだけ見聞きしてくるんじゃ、いつものテリトリーから出ないのと一緒じゃん。
それでその国を知った気になってマイルの分だけ経験値増やした気になっていたりね。

違うってば。

どれだけ本気で、外にも目を向けたのか。
そうして出会うことで、時々は痛い思いもするだろう。
それでもその出会いと痛みのぶんだけ、目に映る景色が広がる。
外を知れば知るだけ、自分の足りないものとか気付くのだ。
そういう経験をしたことのある人は、上辺が少し違うからといって他人をすぐに否定したりしない。
自分を守るためだけに、雑言を吐かない。

余所に出たこともないのに、余所者を否定するな、って思う。





えっと、ちなみに、そのAさんには、わたしは他の人と変わらず接してたつもり。
オーストラリア行きを話した後、「行かないで」ってお手紙をもらった(!)のだけど、
そこには、「こまつさんが、いつも周りにしてたのと同じ態度で接してくれたのがうれしかった」とも書いてあった。
いやいや、同じ態度って…。Bは一体どんだけひどい態度だったんだろうか。
(うん、でもこの後、彼女の母親まで「オーストラリアには行かないで、日本で娘の友達を続けて」と
何度も連絡してくるようになって、出国後はこちらから連絡してません…。お元気かしら、二人とも…)






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”現実的” な人は言うだろう。
「夢なんか見てないで、もっと現実を見ろ」と。

でも、現実こそ夢の先。
思い描いたこと、それとは違うこと、どちらもあるけど、
それは単なる結果。
そこへ向かうことを選んだのは自分。

はじめに”思い”があって、行動を起こすから”結果”が生まれる。

現実だけ見ろ、というのは、結果だけ待って、
自分の選択に責任がないと言っているように聞こえるけれどもね。


今度は、そんなこと言うような人に、
君の大切な夢の話はしなくていいよ。
その人はきっと君のこと
心底うらやましいのだろうけどね。






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