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「もっと好きにしていいし、

したいことをしてもいいし、しなくてもいい。

欲しいものは欲しいと言っていいし、

要らないものは要らないと言っていい。」


今年の1月、ロシアを旅して感じたこと。

この時すでに答えを出していた。

1年かけて、その重要なことを

何度も何度も意識させられた。

要らないものは手から離れ、

忘れていた大事なことは

自分の中心にまた戻ってきた。


遠くと近く。

物理的にも心のなかみも、行ったり来たり。

きっとまた来年も遠くへ行くだろう。

その時の自分に向けて。

「誰がなんと言おうと、わたしはわたしでOKなのだ。」



2016年1月23日のブログ→



旅について:

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手に余る嫌な感情だって、

他人のせいにはできない。

感情の責任は、自分でとること。



「あんなことがなかったら」

「あの人がああ言わなかったら」

この嫌な気持ちが出てくることなんてなかったのに!


黒い感情にギリギリ歯ぎしりして、

キー!と眉間にしわまで寄せたりして。


その出来事も、誰かの言葉も

ただの引き金。

その嫌な感情の

ほんとうの”原因”ではない。


誰かのせいにしたら、楽…

な訳ないない!


他人を悪者にしたついでに

自分にも嫌な気持ちを植え付けて、

ただただ悪循環。


それを断ち切るなら。


出てくる感情に責任を持つこと。

嫌な気分を誰かのせいにしないこと。

誰々が「わかってくれない」といじけないこと。


生まれてくる感情は、自分のものだ。

誰かのせいではない。



たとえ受けとめきれなくても、

そういう自分の姿もあるのだと

目を向けるだけでもいい。

見ないフリより後でずっと楽になるから。



ほんとだよ。(経験者より)



へばのー




















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自分への期待度が現実より高かった時、
がっかりしますね!

ブログでいいこと書いてやるぜ!なんて
調子に乗って画面に向かいましたが、
つづった文字を見て「あれ…?」
(上記イラスト参照)

下書きは下書きのままになりました…。

普段もそうかも。
かっこういいとこ見せようとすると
ひとりよがりになってしまう。
深呼吸して、必要なものは何か
もう一度見渡すといい。
「かっこういい自分」への集中力が
いい具合にほぐれて、
何をしたらいいかわかるはず。



へばのー!











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人は、いつか死ぬ。
それは誰もが知っていること。
でも、その事実を意識することは、
ほとんんどないかもしれない。

まだ若くして、病気になって
自分が近いうちに確実に
この世を去ることを知る人と会ったことがある。

大切な友人を通して知り合ったその人は、
真っ直ぐで正直な視線と
強い存在感を持つ人だった。



「もっと、やりたいことがある」
「わたしだけ、ここからいないくなる」
そういった憤りや怖れ、
諦めきれないことを受け入れなければ
いけなかったこと。
大好きな人たちから、1人戻れないところへ
離れていかなければならなかったこと。

彼女が自分の体のことを知って
はじめに抱いた感情。
それをきいた時、伝わってきたものから
動いたわたしの感情は、
目盛りを余裕で振り切った。
死にいくことをこれほどまでに
意識したことなど、全くなかったからだ。
怖い。
とてつもなく深い闇に落とされるような恐怖。

そこへ、1人向かわなければいけないのだ。
どれほど勇気のいることなのか。

それでも、わたしはどこか彼女に対して
「かわいそう」という目線を
持たずにはいられなかった。
自分には、彼女よりも残された時間は多いから、と。

だけど、一瞬一瞬の中に存在する彼女は、
周りのあらゆることに愛しさを見つけ、
世界の中で確実に楽しんでいた。
まるで、自分の魂に、体をつかって
経験値を刻みつけていくように。
体の存在する間に、触れたものの全てから
生きているという感覚を味わうように。

自分の立つ場所に、意識の根を降ろし、
目の前のことに集中している。
もしかしたら、残された時間を
喜びやうれしさでいっぱいにしたい、
と意識してやっていたことなのかもしれない。
それでも、彼女が感じた喜びは
確実に彼女の魂を動かしていた。
きっと、それが自分を「生かす」という
根源的なことなのかもしれない。

わたしは?
何かを場所のせいにしていなかったか。
何かを状況のせいにしていなかったか。
言い訳が多かったのではないか。

残された時間がまだたっぷりあると思い、
後回しにしたことはなかったのか。

「こうでなければならない」、と
自分の素直な感情を閉じ込めていなかったか。

…「かわいそう」なのは、
逆にわたしの方ではないのか。


死にいくことは、命をすり減らすことでも、
ただ時間を流れるままにすることではない。
時間を使うという点では、「生きる」と同じことだ。
では、生きていくこととは。
彼女のように、瞬間ごとに
足元や手元に今あることと向き合うことだ。
そこから生まれる自分の感情を
味わい尽くすこと。
出てくる感情を勝手なジャッジをする必要はない。
頭を使いすぎる必要もない。
他人のいうことを聞きすぎる必要もない。
直感や信じるもの、あふれる自分の感情に
寄り添って、そこからどうするかを考えればいい。

後悔や未練はない、と彼女は言った。
それは強がりでもなく、
そう思おうと力を込めている訳でもないのは
聞いたわたしにも分かった。

生きる。
意味が大き過ぎてぼんやりとした
意識でしかその言葉をとらえていなかった。
だけど、もうこの世にいない彼女が
残したメッセージは、確実にそこへ
光を当て、地面に伸びる影でまた、
足元へのつながりを見せてくれた。

考えすぎて動けなくなりそうな時、
「頭使いすぎだよー」と
わたしを笑う彼女の姿を思い出すことにしよう。
動いて感じて進んでいけるように。


















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