「ほっ」と。キャンペーン
強い人に憧れた。
自信に満ち、泣き言なんて口にしない。苦難を物ともせず、非難を浴びようが、信念を貫いて目的に向ってひたすら邁進する。それが強さだと思い、そうでなきゃ、弱いんだと思った。

やけに他者を意識し始めた思春期の頃、目立つ同級生たちにはその強さが備わっているように見えた。羨ましく、妬ましくも感じ、そうではない自分が疎ましかった。

それは長い間、どこかに引きずったままだった。強くなるために、自分ではない何者かになる必要があるのだと思っていた。

でも、いつの間にかそれほど羨ましくも感じなくなっていた。
悩み続けたあの頃より、年をとったからかもしれない。その間に、涙も、助けを求める声さえも出ないほど打ちのめされたことがある。そんな、立ち直れないんじゃないかと思うくらいの痛みをくらっても、それでも身体中が笑顔になるほど、喜びを感じるのも同じ自分だと、気付いたからかもしれない。どこへ行こうとも、自分は自分でしかないことを思い知らされたからかもしれない。


うろうろしたり、ふりだしに舞い戻ったり、相変わらず、悩んだり迷ったりしている。いろんなことをやってきたけれど、いつでも新しい次の一歩は、怖いこともある。考え込んで、身動き取れなくて、苦しくなったり。でも、それでもやるのだ。


はじめっから、図太くて、何も気にせず、いつも力にみなぎっていたら。ここまでこれたかな。休み休み来たから見えた景色も、遠回りしたから身につけたものもある。強い孤独の中に落ちたことがあるから、人といられる喜びも大きくなる。


今は、昔よりも、自分の弱さを知っている。それはもう、隠すものでも否定するものでもなく、わたしの一部なのだ。それ以上でも以下でもない。弱さを見せないことが強さではないのだ。自分のやりたいことに素直なら、自然と進む力が生まれるはず。そして、その力こそ、自分を強くしてくれる。
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# by komatsukyoko | 2012-06-20 01:09
自分を取り巻く変化の流れが、 まるでごうごうと音を立てているようです。

変わらないものなんて、ひとつもないし、わたしの中心は何も変わってはいないのだけれど。

でも、今までになく、目に見えない小さな変化がたくさんの炭酸の泡のように生まれ続けているのです。
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# by komatsukyoko | 2012-06-19 12:35
先日、待ちに待った返事が来た。もしかしたら、次の仕事のチャンスが得られるかもしれない機会だった。はじめは先方からも好意的な反応…と感じたのだが、その返事は思わしくなく、お互いの条件が合わず、今回は先方にもわたしにとっても見送りとなった。

正直に言うと、かなり落胆した。「これが決まったら…」と、引越し先になるであろうその土地のことを、ずいぶん先のことまで夢想した。その期待が落胆を大きくした。

しかし、気付いてしまった。今回は、4年前のような勢いがなかった。あの時、「なにがなんでもオーストラリアに行くんだ!!」と別の土地へ渡ろうとする、自分でも何故だかわからないくらいのエネルギーが。反対されようが、その時手にしていたものを捨てることになろうとも、自分の中で下した決断に揺るぎがなかった。

どこかで、「誰かに与えられる好機」というものを期待して、自分が今は何が出来て、これからどうしていきたいのか完全に忘れていた。そして、心のどこかで、「なんとなく違う」サインも出てはいた。(はじめの相手の反応に感じたなにかだとか、他にも行きたい場所を考えていたとか)それを閉じ込めて上辺のチャンスにこだわろうともしていた。

馬鹿だなー、自分。ちょっとヤケになりそうだったけど。そっちは、進むべき道ではなかったのだ。手にしてもいないのに、失ったつもりでへこんでちゃもったいない!

心のどこかで、なにかがひっかかっていたら、それは「立ち止まって!」のサイン。そこは無理に押し進めようとしちゃだめだ。そして、頭で考えた「こうした方がいい(得)かも」なんて、大したことないのだ!そんなものは、ありとあらゆるものに見透かされてしまう!

これは、いいきっかけだった!まだ何も終わっちゃいない。しかし、動くのだ。動いて、失敗だろうが成功だろうが、自分なりの結果を少しずつ出してくのだ。その積み重ねこそ、大切な財産となり、今後の自分を育てていくのだ。

…10代の時よりも、20代の時よりも、30代の今の方がチャレンジャーだな!(笑)
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# by komatsukyoko | 2012-06-17 22:30
寝付けない夜に、すこうしだけ、そーっとなめるように飲む。それは、蜂蜜と梅だけで作られた梅酒。瀬戸内海の島で知り合った二人がわけてくれたもの。この梅酒を口に含む度、あの島の海や空、冷たくなり始めた11月の夜の空気を思い出すのだ。そして、あの頃、自分の中の流れが、大きく変わったことも。

日本に帰国して、実家にはすぐ戻らず、瀬戸内海の小さな島で働き始めた。いい場所だった。島の人たちも暖かく、なにより、夏の海と夜空が最高に気持ちよかった。それでも、やっぱり仕事の葛藤やこれからの不安はざらざらと溶け切らず、悩み始めていた。そこから少しでも離れていたいと、やたらと海に通っていたのかもしれない。髪の毛は、日差しと潮で焼け、明るい色になってきていた。

世間が夏休みやお盆休みの間、わたしの職場はひたすら忙しい時期を迎えていた。その時期が、少し落ち着いた頃、ふと一人で、気になっていた別の島へ遊びに行った。



②へ続く。
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# by komatsukyoko | 2012-06-14 01:02
なにかを探して、探しあぐねて途方に暮れることなんて、わたしにはある。目の前のことで溺れそうになっては、手を伸ばしても、つかまるものさえ見えない時もある。 それでも、きっと本当は、探している答えだって、泳ぎつくべき岸の方角だって、本当は知っているはずなのだ。なにかの理由で気付けなかったり、気付かない方が現状に都合がよかったりして、知らないふりをしてしまう。そんなふうに自分の本心に耳を傾けないでいると、体が声をあげる。大抵その声は、痛みなのだ。痛みが心の言いたいことを代わりに伝えようとする。

 わたしは、それをまた思い知らされた。先週末の東京旅行から戻ってから体調が優れず、ご飯もほとんど食べられなくなった。実際は、地元に戻ってからずっと体調が良くない時の方が多かったかもしれない。わたしは、それを当初、寒さのせいだとばかり思っていた。地元を数年離れていた間に、ますます寒さに弱くなっていたし、今年の雪の多さは、気持ちまで暗く閉じ込めてしまうほどだった。暖かくなったら、きっと体調もよくなるだろう、そう思っていた。でも、やっぱりどこか体調のリズムは低いまま、そこで多少上下を続けるだけだった。病院に行っても、異常は見つからない。

今回も似たような症状だったが、医者ではなく、ある人の元へ。その方は、マッサージのセラピスト。数年前から、何度かお世話になっている。同年代で、海外滞在の経験などいくつか共通点があって、初めから親しみを感じていた。もちろん、マッサージの技術がすごく高い。手を触れると、相手の体の声が聞こえるんだと、わたしは思わずにはいられない。そして、この方の纏う穏やかで透き通った空気が、ご本人の生まれ育った大好きな緑の美しい街と呼応していて、ここに来る度、わたしの濁った部分まで、クリアーになる。だから、来てしまうのだ。そして、たっぷり話をしてしまう。静かに聴いてくれる彼女の澄んだ目に、毎度ハッと気づかされる。今回も、そうだった。微笑んだ彼女は、静かにきっぱりと言った。「自分で、答え出してるじゃないですか。えらいですよ。」 

そう、求めていた答えを、本当はもう手の中に持っていたのだ。気づいたら、なにかがほどけたように軽さを感じた。もう、その本心に従っても大丈夫、そう確信した。やりたいこと、やらないと。


地元に帰って6ヶ月と少し。その間、何度もいろんな声を投げられた。 「親は安心したでしょう」「これからずっと住むんでしょう?」「もう、あちこち行かないで、落ち着くものだ」「ふらふらしてないで、ちゃんと働いてほしいと、親御さんも絶対思ってるわよ」 何度も、何度も、投げられた。もちろん、それには、悪気なんてない。でも、悪気のない言葉は、時々暴言よりも暴力的になる。 わたしは、「みんな」の声を聞こうとした。言葉には出さない親の言葉も受け止めようとした。自分の声を、出さないようにした。出しても、誰も聞きやしない。言ったところで、相手の「善意」を喰らうだけなのだ。 そうやって、どこかに封じ込めてしまっていた。

雪が溶け、気温もあがり、少しだけ気持ちも高揚し始めたような気もした。地元での暮らしも、仕事も、やっと慣れてきたように感じた。毎日に、笑顔の量も増えてきたように思えた。 でも、知っていたのだ。本当は、もっともっと動いていたいことを。わたしにとって、動くこととは旅であり、旅に出ることで頭と体と心との均衡を保っていた。わたしにとって、旅は呼吸なのだ。要らないものを吐き出して、必要ななにかを全身で吸収する。それを繰り返し続けていくことで、わたしは生きている。

知らない土地へ行き、道に迷って途方に暮れそうでも、言葉が通じなくて、もどかしい思いをしても、旅を続けるだろう。何度でも、固くなりそうな頭を連れて、その中につまった「当たり前」を壊しに出かけていくだろう。

ここでの生活が悪いといいたい訳じゃない。恵まれてると思うからこそ、そこから飛び出して、素っ裸の自分はどんなやつなのか、知ることが必要なのだ。本当に大切なものは、遠くにいるほど近くに感じることもあるから。


旅するように暮らし、生活するように旅をする。
それが、わたしのライフワークです。
そして、これが、わたしの答え。
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# by komatsukyoko | 2012-06-12 12:41
「一年前と同じだ…」そう気づいたのは、2008年の3月、彼岸の日にお墓参りに行く途中だった。青空だが、まだ寒い東北の空の下、わたしは突然焦りを感じた。ずっと、オーストラリアのワーキングホリデーに行きたいと思いながら、不安の方が勝って、具体的な準備なんて何一つしていなかった。その年の2月、母方の祖母が他界、7年の寝たきり生活を終えていた。祖母の死は、時間は限られていることとを改めて強く実感させた。「動けるうちに、動こう。」



祖母の死から3ヶ月後、5月の東京で桜井さんに出会う。これが、はじめの大きな一歩だった。その桜井さんとは、たった一人で、留学をサポートする会社を運営、本人もワーキングホリデー経験者、世界一人旅もしたツワモノである。その桜井さんと二人きり、個人カウンセリングで自分のことを話すと、目の前の桜井さんの表情が険しく変わった。「冒険したいけれど、怖いから安定が欲しい」という私の本音を見抜き、私を叱った。「自分のやりたいことの責任、取らないでどうするの。」たしか、そんなことを言われたと思う。初めて会った人に、きつく言われたことに驚いたが、当たっていたから言い返す言葉すら見つからなかった。
その後に行われた10人ほど集まった説明会で、オーストラリアでの生活についていろいろ聞くうちに、漠然とした不安は小さくなり、「住めるかも?」と思い始めていた。そして、東京の説明会から数日後、WHのビザを申請した。親にも友人にも言わずに。動こう、と決心した。



それから4ヵ月後の9月には、わたしはオーストラリアに立っていた。1年で帰る予定が、2年と半年に延びたのは、予想外ではあった。が、自分が自分でいられる場所を見つけた居心地のよさは、帰国よりも滞在を引き延ばす方が自然だった。



初めて降り立った地は熱帯のケアンズ、語学学校へ通う。そこから車で2時間ほどのバナナの町、イニスフェイルでファームの仕事、再びケアンズ暮らし、その後は資金稼ぎにまたバナナファーム。それからエアーズロックを旅し、アリススプリングスへ。3日滞在の予定がふとしたきっかけで、4ヶ月暮らすことになったその場所は、一番思いいれが強い。そこでセカンドビザを申請し2年目に入り、今度は南のアデレードへ。シドニーでクリスマスとニューイヤーを迎え、途中日本に一時帰国。またアデレードに戻りビザが切れる頃に、「もう一度英語力を確かめたい」とスパルタの語学学校へ学生ビザで通う。旅も仕事も勉強も、すべて必死だった。



もしも、英語だけ身に付けたいなら、日本国内で勉強するだけでも充分だろう。しかし、多くの移民から成り立つオーストラリアという国で、さまざまなバックグラウンドを持つ人々と出会い、生活を共にし、その空気を吸いながら暮らして身に着くものは言葉だけではない。



もちろん、楽なことだけじゃない。嫌な思いだってするし、痛い目にも遭う。苦しくなったり辛くなったりもする。「疑似体験で英語を学ぶ」のと全く逆で、自分の感情を揺さぶられたり、目の前に突きつけられる現実を乗り越えるからこそ、自分なりの英語が身に着いていく。感情や体験を伴うことこそ、リアルだ。その身を持って得た経験や知識は、誰にも奪うことができない。旅を続け、荷物がどんどん軽くなるのと同じ速度で、そういった自分の中に蓄積されるものは大きく増えていく。手に持てるなにかより、その財産のほうが重要だと気づくために、わたしはオーストラリアに行ったのだろう。そこでの時間は、わたしを大きく変えた。



なにかを掴むためには、他のなにかを手離すことも必要。日本でくすぶっていた気持ちを捨て、行動を選んだ。具体的な行動は、余計な不安を消してくれる。限られた時間を、自分の魂を躍動させるために、自分の夢に正直でいるべきだ。そして、その夢を広い心で応援してくれるのが、オーストラリアという国。ちょっとの失敗なんて、“No worries!” 








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今日は、わたしの「略歴書」として、留学エージェンシー「アクティブウーマン」のパンフレットに載ったものをこちらに転載。 (ブログ用に少し直した部分もあります)
「アクティブウーマン」は、大手の留学斡旋会社とは違い、勧誘は一切なし、手取り足取りの過剰なサポートもありません。しかし、桜井さんは必ず要所を押さえる、頼れる姉貴です!

昨年、新しくパンフレットを作るということで、代表の桜井さん直々にお願いされました。 「海外に飛び出したい誰かの背中を押せるなら!!」と快諾して書かせていただきました。


今後は、オーストラリア滞在中のことに関しても書いていきます!
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# by komatsukyoko | 2012-06-08 21:42
自分の望む生き方を、すでにしている人に出会うと、ぼんやりと夢だと思っていたものが途端に現実味を帯びてくる。その夢を持つ自分のことも強く肯定できるようになる。そんな人に直接出会う、ということの強い威力を、わたしは先日感じた。

カメラマンでライターのかさこさんにお会いした。かさこさんは、少し前まで会社勤めをしながら、個人でも仕事をしていたが、現在は完全にフリーランスで活躍中。企業に属することも、フリーランスとしての生き方どちらの経験もある方だ。ブログを通じてその方の存在を知り、何度かメールを送ったこともあった。その度にお返事もいただいていた。そして、先日、東京に行った時に会う約束をしていたのだった。

正直、お会いするまで怖かった。わたしの憧れの人なのだ!その方にとって興味深い話をできるのか心配というのもあった。しかし、話し終えてみれば、2時間40分!という長時間、会話は途切れることがなかった。わたしが自分のことを語りもしたし、たくさんの質問にも答えていただいた。ただただ、話したいことがいっぱいあって、聞きたいこともいっぱいあった。大先輩のはずなのに、敷居は低くしてくれていて、長い時間、話しづらくなることなんて一度もなかった。お会いしたのは初めてではなかったが、こんなに長く話したのは初めて(前回なんて、短い時間だったけど、舞い上がって一人でベラベラ喋った。そんなわたしを優しく聞いてくれるかさこさん…という構図(冷や汗))。しかし、今回は、ひたすら居心地がよかったのだ。かさこさん自身も、「(わたしたち)似てますねー」とおっしゃった。畏れ多くも、わたしも「同じ匂いがする」と感じたその憧れの人を目の前に、自分自身でいられる心地良さを感じていた。(たくさんの人に出会っても、そんな相手を見つけられるなんて、本当に貴重なのだ!)相手の話から受ける強い刺激も、心を躍動させた。嫌な緊張感とも、高揚感だけとも違っていた。もちろん、盲目的な恋愛感情とも違う。ただ、一緒にいるのが本当に本当にうれしかったのだ。

この方は、わたしが「こうなりたい!」「こうありたい!」ということをすでに体現している。実際お会いしてお話して、共通点を見つけて身近な存在に感じられるようになった。人間くさい部分も垣間見えた。それが、大きかった。ただ、ブログや作品集を介してその人の存在を知っているだけだったら、どこかで「あの人とわたしは違う」なんて言い訳して努力しようと思わなかったかもしれない。でも、大変と思うことはなかったのか聞くわたしに、「ありましたよー。」と答えたかさこさん。それを聞いて実は少し安心したりもした。ない!なんて答えられたら、またまた線引きしてしまいそうだったから。大変でも続けてきたのだ。もちろん、才能だって関係してるだろう、でも、それを活かす努力も、売り込む営業も続けてきた人なのだ。そして、どんな風に実績を積んできたか話す相手を見て、具体的に「これをやってみよう!」ということが明確になった。

できることからやればいい。
続けていくことが大事。

目新しい言葉ではないはずなのに、かさこさんの口から聞いた言葉には、経験と実績を伴った重みがあった。本当に、そうやってやってきた人だったから。
わたしは、自分のやりたいことはわかってもいたが、それを周りに話したことなんてほとんどなかった。否定されるのが怖かったし、それ以上に、わたし自身、どこかでその夢を肯定しきれていなかったのかもしれない。でも、自分の夢の責任を取れるのは、自分だけ。

望むように生きるべき。もしそれが今は叶わないなら、そうなるように動けばいいのだ。


わたしのターニングポイントになった、かさこさんのHP かさこワールド
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# by komatsukyoko | 2012-06-07 04:11