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旅するイラストレーター こまつきょうこの日常図鑑

山形県の田んぼ・海・山の側で育ったイラストレーター。翻訳・通訳業(日英)も。 U.S.A.、スウェーデン、オーストラリアの3大陸在住経験有り。玄米好き。

あの頃、思い描いてた自分になれているだろうか 〜17歳の頃、アメリカの生活で見つけたこと〜

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1996年1月9日、17歳の誕生日は、留学先のアメリカでホストファミリーのMros家と迎えた。
アメリカ滞在は、1995年7月から1996年6月まで。ジョージア州の小さな街で、7人家族のお宅にホームステイして、現地の公立高校に通っていた。
(写真は、ホストシスターの彼とその弟も入っています。)
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久しぶりに当時の日記を読み返したら、「この考えがわたしの軸になっているのでは」、と思うことがあった。これを、覚えておきたくて今日は記します。


ホームステイ先は、両親と子ども5人の大家族。その5人のうち、4人が養子。肌の色も、瞳や髪の色もみんな違った。養子として家族になることは現地では珍しいことでもなく、本人たちもその事実を知っていたし、周りも当然知っていた。生まれてすぐ養子に来た子もいたし、小学生になってからの子もいた。理由は、さまざま。(わたしがこのお宅に来た当初は、「また養子の子が増えたの!?今度は大きい子ねえ〜」と言われたこともあったらしい。(笑))


たしか、ある日の夕飯のテーブルだった。いつものように、みんな一緒に席に着いていた。ふとしたことから、アメリカと日本では、「養子」に対する考え方が違うのは、文化や歴史が違うからだね、という話になった。
ホストファザーは小学校の教師をしているが、学校が長期休暇になると軍の仕事をすることもある。それで、日本に来たこともあったそうだ。テーブルに着いた8人の中で、アメリカと日本の両方を見たことがあるのは、彼とわたしの二人だけ。この日は、食卓で話すのが苦手で口数の少なかったわたしにしては珍しく、話題の中心になって、たくさん話をした。

その日の、日記から。(稚拙なところもありますが、どうぞお許しを)

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1996年1月17日

地球が人間を作り、地形や気候が人間を育てた。そして人間が文化を生み出し、歴史を作り上げてきた。

・文化ー⑴武によらず文による徳で人民を教化すること。
⑵世の中が開け進むこと。文明開化。
⑶人間が社会の成員として作り出していく、物質的・精神的成果のすべて。
・歴史ー⑴人間社会における過去の時代の興亡、移り変わり。また、その記録。
⑵事物や人の現在までの経歴。また、その記録。
(当時持っていた、国語辞典からの引用だと思います2012.12.26)

「文化」は難しいこと言ってるけど、このわたしたちが今触れている空気そのものではないのだろうか。
この家には、養子として受け入れられた子供たちがいる。本人も知っている。もうみんな、どこか大人だ。わたしにはないものを持っている。

〜中略〜

短い歴史、まだ好奇心の旺盛な十代の少年のような国、アメリカ。今いる人たちの多くが別の国から渡ってきた。いくつかの湧き出た水が一緒になって川を作るように、いくつもの人種が一つの国を作り上げてきた。
そのためか、血筋というものは私たち日本人のように気にならないらしい。世襲がどうとか…
長い年月が、老人の考えに鍵をかけてしまうように、深い歴史も国の考えを固めてしまうのでは。人々の心は、どうだろうか。

どの国にも問題はある。それは、起こるべくして起きたものだろうか?過去にこだわりすぎではないだろうか?

老人の独り言が、若者を邪魔しないように、新しさが強い時もある。しかし、老人の知恵だって必要なこともある。
どの国がいいとか悪いとかではないのだ。老人の知恵と、若者の好奇心がうまく合わされば、素晴らしいことが可能ではないだろうか。

単純な言葉だけど、「世界は広い」。心からそう思う。そして、自分は小さい。

大きな鍋の中に、一粒の塩を入れても、その味は変わらない。でも、たくさん入れれば、味は変わっていく。そして、別々の材料がよく集まればこそ、素晴らしい料理ができあがるのではないだろうか。

目、物を見るだけでは意味がない。何を感じ、何を考えるか。生きるということ、それもただ存在するだけでは意味がない。自分もできることから、始めようと思う。

人生の1ピースをまた見つけたような気分で満たされた。パネルにきちんとはめ込んでおこう。

ああ。本当に世界が見たい。いろんな人と話をしたい。

もっと勉強しなくちゃ。

ちいさいことは、おおきいことだ。


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表現の仕方にツッコミいれたくなる部分もありますが(汗)、この時の考えが、後の自分に多大に影響していたことに気づかされました。
実は、上の写真の頃の日記を読み返すと、ずいぶん悩んでいた様子。(写真の中でも、せっかくのお祝いの日なのに、浮かない顔…。もっったいない〜!)英語の伸び悩みもあって、自分の殻を破れずにいた。

でも、この会話をきっかけにいろんなことに気付いた。ひとつは、「思ったより英語を聞けるし話せるようになってるじゃん!」てこと。もうひとつは、「自分から働きかければ、物事は変化する」ということ。おとなしい自分が嫌なら、どんどん話せばいい!
そして、もうひとつは、「ちっぽけな自分」。

アメリカに行くまで、日本の親元でわがままで身勝手な世間知らずだった。でも、そこを飛び出して、「自分がどれだけ知らないかを知る」ことができたんだと思う。これがすごく大きかった。

アメリカでの生活を積極的に楽しんだのは、それからだったと思う。いろんなものが吹っ切れたように。

日本へ帰国の日に撮ってもらった写真は、顔が全然違う!あの誕生日の写真から5ヶ月ほどしか経っていなかったけれど、こんなにも顔つきが違うんだ!と今になって驚いた。

帰国して、しばらくはアメリカに帰りたくて、泣いたこともあった。それが、生活を楽しめた証拠だったかもしれない。


ホストファミリーが決まる前、また別の家族が受け入れを希望していたらしい。でも、順番でMros家に決まったと聞いた。もし、他の家で過ごしていたら?今のわたしはあったのかな?
人生のタイミングは、予期せぬところで絶妙に仕組まれているようで面白い。

あの頃のわたしが望んだ自分に、近づけているのかな。
行きつ戻りつするのも、ひとつずつピースを集めるため。大きなパネルに、今の精一杯のピースをはめ込んでいこうと思う。これからずっと先の自分の布石にするために。

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by komatsukyoko | 2012-12-26 23:25 | 【むかしむかし】U.S.

by 旅するイラストレーター こまつきょうこ
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